
ホロニカル体験は、「ホロニカル体験を得よう」として得られるものではありません。
ホロ二カル体験は、観察主体(我、現実主体)が、無となって、観察対象(自己及び世界)と「一」となった時に得られる体験のことです。そのため、「得よう」という「我の意識」が少しでも働いた瞬間、ホロニカル体験は得られなくなってしまいます。意図、思考しようという観察主体の意識が少しでも働いた途端、観察主体と観察対象が分断されてしまうからです。
ホロニカル体験は、むしろ事後的に、「さっきの体験が、ホロニカル心理学で、ホロニカル体験といわれるようなものだったのか」と頓悟することが多いといえます。
ホロニカル体験時には、「ホロニカル体験」を意識する「我」が「無」となっているため、そのまっただ中にあっては、「無我夢中」「無心」「忘我奪魂」の体験があるとしかいえないのです。
ホロニカル体験を、ワークや修行・訓練によって得ようとすることを否定はしないし、そうした取り組みも大切と考えています。がしかし、そうした「我」の「意図」「思考」が強い状態から抜け出した瞬間、こつ然と、フトやってくるような腑に落ちる体感的気づきがもっとも重要であることを忘れないことが大切です。
瞬間的なホロニカル体験の実感と自覚の蓄積による深化は、これまでの自己と世界の不一致や対立ばかりの世界観から、自己と世界のホロニカル的関係(縁起的包摂関係)へのパラダイムシフトを自ずともたらします。