私たちは未来に向かって考えられる無限の潜在的な可能性の中から、あるひとつの選択を自己決定しています。その選択と言う出来事が、あらゆる可能性からあるひとつの出来事を収束させ顕在化させることによって、私たちは「今・ここ」を生きているわけです。
選択行為には、熟考した上での意識的な自己決定もありますが、ほとんど意識することなく日々行われています。生命体は、世界との不一致・一致の繰り返しの直接体験の中で、一瞬・一瞬、非連続的にごく自然に生き残るための選択的な自己決定をしているからこそ、あまり意識することなくても生きていられるといえます。
自己と世界の不一致・一致の直接体験のあるところに主体的決定が考えられるのです。とかく錯覚しがちですが、私たちは、ほとんどの場合、意識的な自己決定によって生きているわけではないのです。私たちは生きているというより、生かされているといえるのです。生死の分岐は、一瞬・一瞬、非連続的にごく自然に行われていると考えられるのです。
だからこそ、生命活動の原点である直接体験に自己照合を求めながら、自らが腑に落ちるところを発見・創造しながら生きることが大切だと考えられるのです。