観察するとは

事物を観察するという行為は、観察主体が観察対象を持つということです。このとき観察する主体にとっては観察対象は、観察主体の内在する識別基準(ホロニカル主体:理)による重々矛盾の世界となって立ち顕れてくることになります。

もし自己が無となった場合には、自己にとっても観察対象である世界も無となります。それは通常、死といわれます。

ホロニカル心理学では、“こころ”は絶対無(空)と考えているので、観察主体が無となるとは、“こころ”そのもの場そのものになることを意味します。

生きている自己にとっては、観察主体が無になるとは、観察主体が限りなく観察対象となり、主客合一になることです。西田哲学でいうところの「物自身となって物を見る」ことです。このとき、全ては、いずれ絶対無(空)となる絶対有の世界を生きているという実感・自覚を促進します。