自己意識の発達の第六段階では、華厳思想でいえば、「事」の奥に「理」があるのではなく、「事」そのものが「理」と了知されます。「事事無礙」です。第5段階までは。。それまでは「事」と「理」は矛盾対立を含んで、「理即事」とは認識されていません。
しかし第六段階においては、自己はもはや抽象的な「理」によって「事」を制御・解釈しようとするのではなく、「事」の瞬間的現れの中に、動的かつ全体的な意味のネットワークが立ち現れていることを直観します。ここでの「理」は静的な真理ではなく、関係の場において自己が世界と共に構成し続ける〈生成される理〉です。すなわち、「理」はもはや出来事の背後にある本質としてではなく、出来事そのものとして、流動的に経験されるようになるのです。この段階において「自己」は、相反するものの間に立って調停する主体ではなく、むしろ相反の運動そのものに包摂され、全体の生成と連動して自己組織化する存在として顕れます。