「IT(それ)」と「ホロニカル主体(理)」

※「IT(それ)」は,2024.11.20以降、「それ(sore)」に統合されています。以下のブログは、統合前のものです。

 

神、仏、永遠の真理、普遍的価値、真実在の形而上学的テーマなどについては、ホロニカル・アプローチでは、言詮不及であり、言語を通して語ろうとした途端、歴史・社会・文化の影響下にあるホロニカル主体(理)の影響を排除できないと考えています。その結果、矛盾を承知の上で、言葉で言い表すことのできないものという意味で、「IT(それ)」と表記しています。

「IT(それ)」に対する希求は、多くの人にあると思われます。しかしながら、「IT(それ)」について語り出した途端、言語が歴史・社会・文化の影響を受けた「ホロニカル主体(理)」を排除できないどころか、むしろ自己が形成されてきた生活の場に包含されいる極めてローカル性の高いホロニカル主体(理)の影響すら強く受けています。地縁血縁の結びつきの強い伝統的な地域共同体に生きる人と、無縁化が加速度的に進む都市化された変動社会に生きる人との間では、信念対立を避け難いといえるのです。

同じ宗教にあって、同じ「IT(それ)」を希求する者同士にあってすら、お互いが抱く「IT(それ)」には、かなりの差異が横たわります。こうした差異の現実への配慮・配意に欠けると、「IT(それ)」には、各自がそれぞれに絶対性を抱いていることが多いだけに、相手が、いかにも理不尽で非常識な態度をとっているかのように錯覚し、近親憎悪的な激しい嫌悪感や嘔吐感すら覚えることになります。

語り出される「IT(それ)」は、「ホロニカル主体(理)」を共有する同じ場内の同士の中では、馴染みのあるものとなりますが、を共有していない者にとっては、馴染みがなく、場合によっては不愉快で自己違和的なものになるのです。

しかしこうした不一致による限界を実感・自覚した上ならば、同じ場でも一致を求めての開かれた対話を無限に試みることは可能です。具体的には、「私は・・・と思うのです(と考えるのです。と感じるのです)」「私たちは、・・・と思うのです(と考えるのです。と感じるのです)」「私のところ(家族、地域、所属集団、国、民族・・)では、・・・と思うのです(と考えるのです。と感じるのです)」という語り方になります。その場合、言語レベルでは不一致ですが、非言語的な直接体験レベルでの「IT(それ)」は、どうも同じであるらしいという直観的な実感と自覚が大切になってきます。