大人は子ども・若者よりもいろいろなことを人生経験者としてよく知っているので、子ども・若者の同意を得ることなく、大人が物事を決定することができるとの考え方を、イギリスやアメリカでは、「アダルティズム」というようです。
子ども・若者は、それぞれの時代の大人の価値観や文化を社会通念上の常識として内在化していきます。しかし子ども・若者も自分の周囲の大人以外の価値観や信念の違いに触れることによって自らの内在化してきた既存の文化や価値観に疑問を抱くようになります。そして次第に子ども・若者にとっては、既存の大人の価値や文化に批判的になっていきます。
しかし大人は、子ども・若者の新しい価値や文化を否定し抑圧しようとするため、大人と子ども・若者との間に対立・緊張が生まれることになります。それでも大人が子ども・若者の文化を否定し抑え込んでしまえば、それは戦中時代のようにいつでも社会的統制が可能です。
このように子ども・若者の同意を得ることなく、また子ども・若者と対話することなく物事を決定していく方法をパターナリズムなアダルティズムと考えることができます。児童福祉の現場の眼差しは、アダルティズムと子ども・若者の意見表明との確執の中にあると考えられます。
このことをホロニカル心理学の観点から考察すると次のようになります。子どもは、社会通念上の価値や文化をホロニカル主体(理)として外我(他律的外的現実主体)に内在化し、自らの内我を抑圧していきます。
しかし、子どもはそのうち外我が内在化しているホロニカル主体(理)とは異なるホロニカル主体(理)に出あうようになります。すると抑圧され否定されていた内我のニーズに気づき、若者になるにつれ自らの外我の抑圧に対して内我が反抗するようになり、次第に大人社会に対しても批判的反抗的になり出します。
子ども・若者と大人という緊張対立の外的対象関係は子ども・若者自身の内的対象関係の緊張対立に複雑に絡み合いながら、若者によって新しい文化が創造されていくことになるのです。
健全な児童福祉の推進は、子ども・若者の他律的外我が、内我との対話の中で、新たなホロニカル主体(理)を創発することのできる自律的外我に移行できるようにすることです。子ども・若者が主体感が持てるようになることにあると思われます。
子ども・若者が自らが抱いた疑問や違和感が尊重され、そのあるがままの直接体験を適切に自己表現でき、子ども・若者の最善の利益が保障されるように育てられることが、児童福祉の根幹をなすと考えられるのです。