心的問題への対応

AIで作成

心的問題とは、問題とする人がいて、はじめて問題となります。問題にする人には、他人である場合もあれば、自分自身の場合もあります。問題とする人が不在の間は、誰も問題があるとすら思っていないわけです。

また、たとえ誰かが「問題だ」と言い出しても、他の人には、「何が問題かまったくわからない」ということも起きます。例えば、Bさんが、「Aさんは、親孝行が足りない」と指摘したとき、Bさんが指摘するまで、Aさんは、「親孝行など足りないとは思っていなかった」ということがあります。それどころかAさんが、「そうだなあ」と腑に落ちても、Cさんには、「Aさんのどの振る舞いが親孝行が足りないのかわからない」と思える場合もあります。それ以外にも、「むしろAさんの親孝行を問題にするBさん自身が、日頃、親のことを気にしすぎているのでは」と思うDさんが登場し、そのうち親孝行の多様な意見を聴いているうちに、「わけがわからなくなってくる」Eさんが出てくることもあります。

心的問題は、誰かが問題化するまで誰も気にとめていません。ところが誰かが問題化しはじめた途端、問題化する観点や問題の定義の枠組みをめぐって、さまざまな意見が沸き起るのを回避できません。心的問題は、問題とする観点や定義の枠組みに対して、どれだけ多くの人が共有できるかどうかで異なってくるのが実態です。すなわち問題に対する社会的反応如何によって、人々の反応の仕方も著しく異なってくることになります。

心的問題は、問題化する言説に関係なく、客観的に存在するのでもなく、ただ誰かの主観的なところに存在するものでもなく、言説同士の差異の中に起きてくるといえるのです。それだからこそ、いろいろな人の対話が、問題の消長に直接関係してきます。誰が何をどのように問題にし、それに対して、他の人が、どのように感じ、どのように応答するかが、心的問題の変容に影響してきます。

オープン・ダイアローグや、ナラティブセラピーといった対話を重視する新しい考え方には、どの言説が正しいのかといった一元的な結論を導くのではなく、むしろ多様な考えをもった声を重視し、お互いがその不確実性に耐えあっていく対話のなかで、新しい問題解決の道を発見・創造していこうとする場の創発力に注目する哲学の流れがあるように思われます。

ホロニカル心理学不一致と一致を繰り返す対話の中で、新しい一致の道の創発を可能とするづくりを重視しています。