自己と世界の出会いの直接体験を、自己自身が主体的な経験とし認識し自分のものとしていくためには、直接体験を自己上の体験として適切に照らし返す、何らかの応答する存在が必要です。照らし返す存在が不在の自己には、直接体験をまとめる中心点がなく、自己も世界の区分もなく、ただすべての出来事が断片的に繰り返される状態となります。
通常、自己にとって照らし返しの対象となるのは、保護者的存在及び自己を取り囲み自己に応答する生きた生活世界です。
この時、もし照らし返す存在が、快か不快か、良いか悪いか、白か黒か、天国が地獄かというように二分対立的に照らし返すだけでは、自己にとっては、自己も世界も、快か不快か、良いか悪いか、白か黒か、天国か地獄かというように、すべてが二分化されたものとして実感・自覚されていくことになります。
しかしそうではなく、複雑なものは複雑なままに、単純には2分化できないものとして照らし返せば返すほど、自己も世界も複雑なものとして実感され自覚されていくことになります。
自己に応答する他者や生活世界の重要性を思う時、高度情報化社会の浸透とグローバル化は、生活環境をすべてをデジタル化し、均質化・標準化することによって、自己と世界があたかも二進法的なオン・オフの世界であるかのように実感され自覚されやすくしていきます。その結果、複雑な多様な世界や自然が眼前にあったとしても、二分的にしか実感され自覚できない人が、年々加速度的に増加してきているように思われます。
応答する環境がいかなる世界かは、自己意識の発達に深く影響していくと考えられるのです。