
主観と客観、精神と物質、意識と存在など、それぞれが独立して存在すると見なす思考の枠組みを古来二元論と呼んできました。二元論では、主観的な精神と、客観的な物質的存在の独立性を意識するという構図になります。
それに対して一元論では、精神など意識が唯一のものする唯心論や、物質などの存在が唯一のものとすると唯物論があります。また実在するものが2つ以上あるする場合は、多元論と呼ばれてきました。
ホロニカル心理学は、一元論でも二元論でも多元論でもありません。本来、すべては絶対無※から絶対無自身の自己否定として絶対有が誕生し、その絶対有が絶対有自身の自己否定から相対的な有(物質等)と無(意識等)がつくりだされ、やがてすべては再び絶対無になるという立場を取ります。こうした立場は、本来、「0」としかいいようのないものに対して、何かを識別しようとする時の人間の認識方法の違いから、一元論、二元論、多元論的な思考が生まれたと考えるため、一元論でも、二元論でも、多元論でもないといえるのです。
一元論、二元論、多元論の違いは、ホロニカル心理学的には、どのようホロニカル主体(理)でもって主観・客観、精神・物質、意識・存在の関係を認識するかの違いによってもたらされると考えます。一元論、二元論、多元論の差異は、本来、一即多・多即一の関係を、基盤となる基本的枠組みの異なるホロニカル主体(理)を内在化した観察主体の差異によると統合的に捉え直されるのです。
同じ現象でも観察する思考の枠組みが異なると、見ようとするものが異なり、そのことによって観察結果も異なる現実世界が作り出されてくるのです。ホロニカル主体(理)は、観察する際の色眼鏡と言い換えられます。一般的にいって、人は、自分がどのような色眼鏡から自己自身や世界について観察しているかについては、ほとんど無自覚のままです。しかしながら、無自覚であろうと無意識であろうと、観察する人が色眼鏡(思考の枠組み)でもって事物を観察するしかない以上、色眼鏡は観察結果に重大な影響を直接与えていることを理解しておくことが大切となります。人はそれぞれ微妙に異なる現実世界に生きているといえるのです。だからこそ、人は自分の色眼鏡(思考の枠組み)とは異なる色眼鏡(思考の枠組み)に出あわない限り、自分のみて感じている世界が正しいと自己完結的に思い込んでしまいます。
どのような思考の枠組みが正しいかについては、ホロニカル心理学では窮極的には言葉でもって語り尽くすことができないと考えます。ただ言えるのは、人は観察する主体と観察対象の関係が無境界になった瞬間(ホロニカル体験)を、たった一度でも実感・自覚できれば、あとは観察主体の枠組みによって観察主体と観察対象の関係は無限に作り出されていることを理解することが可能になってくるということです。
思想、宗教、価値観の違いを超克するためには、言葉の限界を自覚した態度が求められるように思われます。
※ 西田哲学でいう「絶対無」は、「空(大乗仏教)」「道(道教)」「0ポイント(井筒俊彦)」などと同じとホロニカル心理学では考えています。