実体の再考

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「昨日の私」と微妙に違っていても「今日の私」は同じ私であり、「私」そのものは恒常不変とする考え方があります。表面的に変化があったとしても、そこには他と区別できる固有の本質を持った実体が存在するという立場です。これを突き詰めると、不変、不動、不滅の絶対的実体があるとの理解に至ります。こうした視点は、個々の個物や、霊・神を実体と見なす考え方にもつながっていきます。

しかし、こうした実体を否定する捉え方もあります。実体と思っているものは、思考によって構築されたものであり、現象界は、すべては絶えず変化し、この世界に恒常不変の実体があるとするのは錯覚に過ぎないとの見方です。東洋の「無常」や「空(くう)」の概念はその典型です。

また量子論など現代物理学者も、「私Xがいるか」と問われれば、次のように答えそうです。極限のミクロの世界では、波動のように振る舞ったり粒子のように振る舞う量子と名づけた数理モデルによって説明がつく現象(量子の研究者にとっても、なかなか腑に落ちるレベルにまでには達しない不思議な物理現象)があり、そうした振る舞いをする粒子が、原子と名づける物理現象を形成し→分子が→細胞が→組織が→器官が→有機体というXを作っているのであって、それをもってXがいるかいないかというのは、定義の問題でしかないと、多くの厳密な科学的説明を専門とする人は答えると予測されるのです。

こうした実体に関するテーマに対して、ホロニカル心理学の観点からは、次のように考えています。一見、恒常不変に見える実体とは、自己が観察主体となって自己自身を含む世界を、観察対象として、観察主体が内在化している識別基準(ホロニカル主体:理)に従って多層多次元に分別したときに立ち顕れる世界と考えます。しかし、多層多次元に識別・分別される実体から構成される世界も、観察主体と観察対象が一致し、自己と無境界となった瞬間には、そのまま即座に無常・無自性の空の世界に転じると捉えています。多層多次元からなる現象世界即空(存在と意識のゼロポイント:井筒俊彦)と考えています。流転変化する世界は、そのまま無常・無自性の絶対無(空)の世界にほかならないと考えられるのです。