リスク介入に対する政治哲学の差

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児童虐待などのリスクに対して、国家がどこまで関与するのか、関与するにしても、いかなる態度で関与するかは、憲法や法律の解釈や運用問題が深く絡んでくる極めて社会的歴史的テーマであり、いつの時代にあっても極めて政治的なテーマといえます。

かつては、子育てなど家庭内の問題は、国家が積極的に介入すべきではないと考える時代がありました。しかし、そうした時代にあっても、国家は、理想とする家族像の道徳観や倫理観をさまざまな方法を使って、人々の意識に浸透させようとしてきました。第二次世界大戦前までは、子どもの人権を尊重する思想などはまだなく、天皇と国民の忠孝は、家長と家族、師と生徒、男子と女子、親と子との関係にも適応されていました。こうした時代は、身内の恥は、家長の権限で内々に処理されるべきことが暗黙のうちに了解されていたといえます。

このように国家は、結果的には、さまざまな社会的仕組みを通じて、家族問題に介入していたことは歴史的に明らかです。

戦後、民主的な国家を目指してきた日本にあっても、子どもの虐待死や、子どもを保護すべき立場にある保護者による子どもへの虐待が、想像以上にかなりの数に上ることが明らかになるなか、民事不介入だった国や行政機関も、さまざまな形で子育てに関与する必要に迫られ、今日の虐待防止法の制定につながってきました。

しかし、虐待防止法が制定されても、児童虐待をめぐる最前線では、実際にいかなる対応を取るべきかをめぐって、実に多様な価値観が錯綜しています。それは、リスクを個人化し個人の責任とするのか、リスクを社会化し、地域社会との共同責任とするのかといった議論を含めて、極めて政治的な対立を含む揺れでもあります。

児童虐待に携わる関係者の中には、養育の第一次的責任を保護者にもたらすためには、社会道徳的に正しいとされている養育観を周囲の人が教育していくべきと考える人もいます。そして、もしそれが見込めないような保護者ならば、子どもを積極的に里親や児童福祉施設などで保護すべきと考える保護主義的価値観となります。保護主義的な対応に対して、むしろ養育を保護者だけの自己責任として追い込まないようにするためにも、もっと子育てを開かれた社会的包摂によって達成していこうとするリベラルな考え方まであります。このように多様な家族観・養育観が錯綜しているのが、今日の児童福祉現場の最前線の実態です。しかも、こうした価値観形成の背景には、個人、家族、共同体、国家など、自助・共助・公助をめぐる、さまざまな政治的な価値観が包摂されていますから、簡単にはいいかないのが現実です。

ただ錯綜する現場の実践から少しづつ明らかになってきていることがあります。多層多次元にわたる問題が錯綜する児童虐待へのさまざまなアプローチの中では、保護主義的な注意・喚起型の指導・助言やレディーメイドなプログラムの適用だけでは、よりよき変容が見込めず、その後、ますます子育ての密室化を増幅してしまっているという現実です。保護主義的な子ども虐待への対応では、最前線では、子どもや保護者との支援者の対立関係ばかりが激化してしまい、被支援者ばかりか支援者すら二次受傷状態に陥り、身心ともに疲弊し、なかには前線からの支援者の脱落まで出て来てしまっています。その結果は、支援現場はドミノ倒し状態になります。また、保護主義的な観点からの社会からの児童虐待の通告は指数関数的に増加する一方にあり、まさに出口なき最前線の逼塞状況が拡大しています。そうした支援現場の錯綜は、ますます被支援者と支援者の対立の激化を招いているのが実態です。

現況の社会動勢は、子どもの健全な発達を阻害する方向にあります。厳しい眼差しでここ数十年の児童福祉を振り返るとき、虐待防止法制定以降、児童福祉を理念とする社会は、むしろ後退したといわざるを得ません。しかし、そんな修羅場の中からだからこそ、確かな手応えた新しいアプローチの萌芽というべき実践が出て来ています。それは、現在の注意・喚起型のパターナリズム的対応の弊害を転換させ、支援者と被支援者が、子育てを共創していくような伴走型支援という方向に支援態度を変更する時に、はじめて見えてくる光明という感じです。しかし問題は、まだまだそうした伴走型支援の実践例が圧倒的に少ないということにあります。

ホロニカル・アプローチによる実践例がまだまだ少ない状態ですが、児童虐待など複雑な問題に対応していく中で、自ずと児童福祉に対するこれからの政治的行政的な課題も明らかにしていく予定です。

このように、児童虐待に対する国家の介入は、歴史的背景や社会的価値観の変遷を反映しており、現代においても多様なアプローチが試みられています。国家の役割と個人の責任のバランスをどのように取るか、そして支援者と被支援者が共に歩む伴走型支援の実践がどのように広がっていくかが、今後ますます重要な課題になってくると予測しています。