
「死」とは、主観世界と客観世界、内的世界と外的世界との境界が完全に消失する現象です。ホロニカル・アプローチでは、この瞬間を「自己を生み出した根源との一体化」あるいは「生命が誕生以前の絶対的な無へと還るプロセス」として理解します。〈私〉が消え去った後には、〈私〉を通じて立ち現れていたあらゆる客観的世界も同時に消滅します。
生きている間は、主観をもつ〈私〉と客観的世界が相互に触発し合いながら自己組織化と生成・消滅を繰り返します。この原理は、自己と世界を切り離さず一つの統合システムとしてとらえるパラダイムと深く呼応しています。終末期ケアやグリーフワークにおいても、この統合的視点が個人の哀しみと社会的文脈を同時に支援する鍵となります。
たとえば、Aさんが「死」を迎えた後、Bさんの意識には「Aさん不在の世界」が客観的対象として浮かび上がります。しかし、この世界をBさんの主観から完全に切り離して独立存在として証明することは不可能です。客観的世界の存在証明は、観察主体となる主観を離れた瞬間に根拠を失うため、死の現実に直面したとき私たちは深い悲哀とともに「人生の意味」という普遍的問いに向き合わざるを得ません。そして、その問いこそが死後世界への想像力を養う源泉となります。
また、死後の世界を信じる人にとっては、その「対象世界」も生前と同様に主観を媒体として客観世界に含まれ続けます。たとえばキリストの復活信仰は、死後世界を文化的・心理学的に統合的に理解する一例と言えるでしょう。科学的実験のような証明は困難ですが、主体の深層で納得し得るテーマとしてホロニカル心理学の観点から説明可能です。
ホロニカル的視点では、観察行為がなければ対象は立ち顕れません。観察を離れた世界の「有無」は定義論の領域へ移行し、死後の世界を含むその問いは「何をもって有と無を定義するか」という問題に帰着します。このパラドックスは、量子力学の「シュレーディンガーの猫」の思考実験にも相似しています。