極限の陰(影)の中に包摂されている陽(光)

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自己と世界の出あい不一致直接体験であるABCモデルでいうA点において、単に自己と世界の不一致による自己違和的体験に焦点を当てるのではなく、その極限においてもホロニカル論的に包摂される自己と世界の出あいの一致の体験としてのB点にも焦点を向けることができれば、適切な自己の自己組織化が加速的に促進することができます。A点においては、A点の頻度が圧倒的に高く、B点の出現率は低いのいは当然です。しかし、それゆえにこそ、A点の極限に包摂されるB点に焦点を当てることができれば、B点の発生率を高め、自己と世界の一致の体験(B点)への移行を促進することが可能となるのです。

この際、A点に苦悩する被支援者を、支援者が自由無碍の俯瞰の立場からあるがままに包摂することができると、被支援者のA点における直接体験内でのB点への気づき頻度を加速度的に高めることができます。

古来より、「苦の極限における気づきの大切さ」を象徴するエピソードが多く存在します。

中国道教の始祖の一人とされる荘子は、自らが蝶となって飛び回る夢を見たという「胡蝶の夢」の説話を通じて、「夢の中の自分が現実か、現実の方が夢なのか」という問いを立てました。この曖昧性への気づきを通じて、苦しみや喜びも“こころ”の在り方次第で変わることを示唆しています。この説話は、人生の苦境にあっても、“こころ”の自由や新たな視点を見出すことの重要性を教えてくれます。

浄土真宗の宗祖である親鸞は、「悪人こそが救われる」と説きました。人は苦難の中で自己の至らなさを痛感し、他者や仏に救いを求める過程において、ある種の喜びや救済への希望を見出すことができるとするのです。これは、「苦」の中にあるからこそ見える「楽」があるという教えの一例です。

奴隷時代のアフリカ系アメリカ人は、過酷な生活の中でブルースという音楽を生み出しました。その音楽は、苦しみを語りながらも自己を癒し、希望やユーモアを見出そうとする力を持っているといえます。

実存主義に基づく「ロゴセラピー」を提唱したヴィクトール・フランクルは、ナチスの強制収容所という極限状態の中で、人間がどのような状況においても人生の意味を見出すことによって生き抜く力を得られると主張しました。

これらのエピソードはいずれも、「苦」の極限の中においても、新たな発見や感情の変容が可能であることを示しています。

被支援者がA点に苦しんでいる時、どのような態度でどのような“こころ”の働きに焦点を当てるかによって、被支援者の自己と世界の出会いの体験は、「今・ここ」において「自己と世界が一致する希望に溢れた体験」へと変容していくことが可能となるといえるのです。