
40年以上前から、講演や研修、エッセイ風の文章の場で使いながら、「はて?」、どこに由来することわざなのか、もはや私にはわからなくなってしまっていますが、「ひとりの子どもを育てるのに、100人の村人が必要」ということわざがあります。
いろいろな問題が錯綜してしまって生きづらさを抱え込んでいる子どもや家庭への支援に長く携わっている中で、いつも大切にしている私の感覚を、見事にかつ的確に表現したことわざです。同じような言葉は、沖縄の八重山諸島のある島で見つけた「あんたは産みさえすればいい、後は島が育てる」という保育園の園児募集の標語も感動的でした。
虐待通告が指数関数的増加を見せる児童福祉の最前線からすると、100人の村人に相当する子どもを取り囲む地域社会の人々は、保護者の養育責任のみを追究するか、保護者の養育能力の欠如を弾劾し、保護主義的な社会的養護(家庭から子どもを分離して里親や児童福祉施設で養育すること)を強く求めるばかりの人が増加しています。村人の眼差しは、見守るどころか監視的です。こうした社会的変容の背景には、地域の共同体の紐帯であった地縁血縁的絆の希薄化と、人と人の関係の無縁化の加速度的進行の影響もあると思われます。
しかし、子どもの誕生と育ちは、さまざまな命のつながりと縁があって可能な出来事です。子どもという存在は、保護者のみならず社会にとっても、「授かりもの」であり、「宝子」です。子どもにとって未来なき社会とは、誰にとっても希望なき社会といえます。
地縁血縁関係が希薄化したとはいえ、ひとりの子どもの育ちには、100人の人が必要です。「養育の社会的に共創」が必要といえます。子どもをみんなの見守り育むような社会的な包摂容器こそが、価値観が多様化する社会でみんなの共生を可能にするのではないでしょうか。