
現代社会における自己のあり方は、二つの相反する力である「極端な一般化」と「極端な個人化」によって加速度的に変容しています。これは、自己が本来もつ重層的で関係的な構造、すなわち「部分でありながら全体でもある存在(ホロン)」としての姿が、社会的文脈の中で分断されつつあることを示しています。
極端な一般化とは、自己の固有性が顧みられず、社会において単なる代替可能な存在として扱われる状態を指します。そこでは、自己は「特別な名」を持たず、誰からも「かけがえのない存在」として認識されなくなります。その結果、個人は「誰でもよい存在」として社会に埋没し、自己の意味や価値を見失い、深い絶望に陥ります。社会的役割の中で匿名化された自己は、関係性の中で育まれる「名」や「物語」を失っていくのです。
一方、極端な個人化とは、他者との関わりを断ち切り、細分化された個別の世界に閉じこもることを意味します。こうした自己は社会に対して開かれることなく、「他者なき自己中心的な生き方」に陥ります。本来、自己は他者との相互関係の中で生成され続ける動的な存在です。しかし、極端な個人化はこの生成的プロセスを遮断し、自己を全体とのつながりを失った孤立的存在へと変えてしまいます。
このように、現代社会の中で加速化する自己の分断は、かつて地縁や血縁によって結びつき、人々が「名の知られた存在」として生きていた共同社会の記憶を失わせます。自己はもはや共同体に刻まれることなく、無縁社会の匿名性に埋没していくのです。ホロニカル・アプローチからみれば、こうした現象は「部分としての自己」と「全体としての世界」との関係の断絶であり、心理社会的支援において新たに橋を架け直すべき課題といえるでしょう。