「“こころ”」を「場」と捉えるホロニカル心理学では、言葉の意味を考えるときに大切なのは、その言葉が生まれ、そして消えていく場としての“こころ”がもっていた源泉を失わないようにすることだと考えます。意識される以前の段階で、“こころ”が実感していた直接体験を忘れないことです。
本来、言葉以前の体験は語り得ないものであり、たとえ語り出しても語り尽くすことのできない実感です。語り出したくなるものとは、言葉以前の「カオスの縁」のような、“こころ”の場における「ゆらぎ」です。語り得ない「ゆらぎ」でありながら、語らずにもいられない実感です。観察主体と観察対象がまだ分岐する以前の、純粋無垢でありのままの「ゆらぎ」です。
この場としての“こころ”の「ゆらぎ」を言葉にし、自己自身および他者に向かって語るとき、自己が実感した直接体験としての「ゆらぎ」の意味の自覚が深まります。そして、その言葉が他者に語られ、その語りに対する他者の応答によって照らし返されると、他者の言葉の意味が、自己言及的・自己再帰的に、ふたたび自己の直接体験を通して“こころ”の場へ取り込まれていきます。他者の言葉はやがて消えていき、新たな“こころ”の場のゆらぎとなって、次の新しい言葉の源泉となります。
こうした循環が他者との間で無限に繰り返されうるとき、“こころ”の場の共有が可能となり、自己と他者との間に対話が成立することになります。
自己と他者との不一致と一致の繰り返しの中で、お互いに腑に落ちるところを探究していくような、終わりなき対話の成立です。
一方で、こうした場としての“こころ”とのつながりを失った言葉は対立を深め、対話は途絶えていくことになります。