
質問された被支援者が、一体どのように応答したらいいのかわからず戸惑って押し黙っているにもかかわらず、支援者が<本当の気持ちを知りたい>との動機に駆り立てられ執ように質問をし続ける場面が時々見受けられます。
相談意欲がない被支援者の場合、あるいは誰かに連れ来られたため主体的な相談動機の弱い人たちへの支援現場でしばしば起きる出来事です。
しかもこうした質問をする支援者の多くに、カウンセリングや心理療法の勉強をした人が目立つのも特徴的です。恐らく、勉強をすればするほど、今の言動は<偽りの自己>からの言動であって、<“本当の自己”は“こころ”の奥くに隠されているのではないか><本当は、もっと別の気持ちを抱いているのだけれども、何か言いにくい抵抗感でも働いているのではないか><偽りの仮面を破るためには、思っている気持ちをもっと言語化することが大切>など、様々な仮説(思い込み)を思い浮かべてしまっていることの悪影響もあると考えられます。
しかしながら、“自分の本当の気持ちをわかっている人”は、果たしてどれだけいるのでしょうか? ホロニカル心理学では、「本当の気持ち」という仮説に関しては、懐疑的立場をとっています。
特に、価値が多元化し、かつ錯綜し、その上、一般常識すら年々加速度的に変動していく現代社会にあっては、内的世界において、「本当の気持ちがどこかに抑圧されている」という仮説(神経症的モデル)の基盤自体が怪しくなってきているのではないでしょうか。
一昔のように、社会の既存の権威や価値が盤石でその社会秩序も揺るぎなく、しかも人と人の間に通底する共有可能な共通感覚が想定されていた時代にあっては、社会生活を営む上でやむを得ず形成した「偽りの仮面」によって、「本当の自己」のような感覚を抑圧するといった仮説が成立したと考えられます。内的な個人的自己より社会的自己の方が重視されがちだった時代だったといえるわけです。それだけに、そうした時代に生きづらさを感じる人たちに対しては、ひたすら内的世界の傾聴に徹することで抑圧されていた内的世界の解放を促進し、既存の価値や規範に囚われない新しい生き方を自ら発見・創造するといったトーンの支援法も通用しました。
しかしながら、現代社会のような加速度的変動社会にあっては、従前のアプローチだけでは、社会的自己が混迷したまま育たず、ただ自己愛の強い内的自己の自己主張ばかりを助長しすぎ、しかもなかなか自分の思い通りにならない外的世界に、際限のない自己愛憤怒を抱く誇大的万能的自己だけを強めてしまう危険性があるのではないでしょうか。
むしろ当の本人すら、「自分でも何をしたいか」「どうしたらいいかもわからない」という気持ちを抱えている人たちへの新しいアプローチの模索が重要になってきていると思われるのです。
この点、被支援者と支援者に関するホロニカル・アプローチのパラダイムは、極めてシンプルです。「共同研究的協働関係の構築」です。本当の気持ちすらわからなくなっている被支援者に対しては、旧来のパラダイムのように自己実現的な生き方をサポートするというトーンではなく、より生き易い道の発見・創造を共に模索することが大切になってきたと考えられるのです。
「共に何かを語りたくなる関係」「共に何かをしたくなる関係」を構築することが大切になってきたのです。「支援を受ける人と支援をする人」という関係から、「生きづらさに対して、新しい生き方を共に発見・創造する」という創造的関係に変容させていく必要がでてきたと考えられるのです。
支援者には、どうしたらよいかの答えを知る者ではなく、どうしたらいいかわからない出来事に対して一緒に問題解決の道を発見・創造していくための信頼に足りるパートナーや場づくりに長けた人となれることが求められているといえるのです。
答えに窮する被支援者を前にして、<一体、何がしたいの?>と問うのではなく、<一体、何をすればいいだろうね>と、共に問題解決を模索することのできる関係を構築することの方が重要になってきているのです。