人間社会には、古来、カリスマが登場します。カリスマには、カリスマを中心とした信奉集団が形成されます。カリスマ的存在は、超人間的な能力を有し、自己と世界の存在の意味や真理について目覚めた人、またはその予言的存在として扱われます。カリスマの超個人的レベルにおいては、すべての矛盾・対立は、統合されています。しかし、一旦、カリスマが人格化されてしまうと、カリスマとなった人の生身の人間的の弱さは黙殺され、理想化され神格化されてしまいます。そして、偶像崇拝の対象になります。
偶像崇拝化されると、カリスマ的存在の死後も、カリスマを中心とした集団が組織化され、集団に所属する者とそれ以外の人との間に溝が生じ、そこに争いが起きます。
本来、真なるもの、永遠なるもの、神、仏と呼ぶものは、個人的レベルの自己にとっては、わかり切ることはあり得ないものと思われますが、わからないものが、わかりきった人とされてしまうところに偶像崇拝化されたカリスマが作られると考えられるのです。
偶像崇拝化されたカリスマにも生前は、個人的次元と超個的次元があったと思われるのです。ホロニカル心理学では、自己と世界の不一致と一致の繰り返しの中にあって、自己は自己が自己自身(我)であろうとすると世界に呑まれて自己(我)を失うことを恐れ、世界を非自己化し、自己(我)と世界と対立することになります。しかし、その一方では、自己(我)は世界との一致を強く希求し、世界を自己自身に包摂しながら適切な自己及び世界を自己組織化させながらも、いずれ世界に呑まれていきます。ここに生死の苦悩が生まれます。
しかし、ホロニカル心理学では、自己と世界の不一致の自己違和的体験と、自己と世界の一致のホロニカル体験の矛盾・対立を同一性と超個レベルの観点から実感・自覚することは、カリスマでなくても誰にでも可能と考えています。自己意識の発達レベルでいえば、第6段階です。ただし、第6段階でも実感・自覚レベルの深化度合いには、個人差があると考えています。