専門性の影の問題

心理社会的問題の解決の主体を、専門家への囲い込み状態から当事者に戻す必要があります。

本来、生きづらさの問題解決の権利と主体は、ひとりひとりの当事者にあり、専門家はそのサポーターに過ぎません。しかしながら、今や生きづらさの解決は、サービス産業化され、専門家のサービスを無料または有料で得られるような一見消費者の権利であるがごとく錯覚する人が増えてきているように思えます。産業化の背景には、権利者であり問題解決の主体者であることが無効化されだしていることが危惧されるのです。

現代社会は、専門家がもてはやされ、問題解決を誰もが専門家に一任する権利をもっているという錯覚が蔓延しつつあります。しかし、多くの人の専門家への依存には、公助・共助社会の解体と、過剰な自己責任論の影響も垣間見られます。支援への依存と支援を図りたいと思う対人感情労働サービスを志す人の増大は、対人援助サービスの市場性に注目した事業管理者と、公助制度や共助制度の弱体化を補完する市場経済システムの中に誰もが呑まれてしまっているといえます。

当事者意識をもたない一部の専門家は、問題解決が上手くいかなくても、案外、いとも簡単にその責任を回避することができます。相談意欲に欠ける、支援を受ける意志がない、動機が弱い、私の専門外の問題、問題が重層重複的、そして決定打は、病理が重いと判断すれば良いのです。こうして問題は、知らずのうちに個人病理化されていきます。

生きづらさの問題解決の主体をひとりひとりの当事者の手に解放し、心理社会的問題の解決の主体を、専門家への囲い込み状態から当事者に戻す必要があります。

本来、生きづらさの問題解決の権利と主体は、ひとりひとりの当事者にあり、専門家はそのサポーターに過ぎません。しかしながら、今や生きづらさの解決は、サービス産業化され、専門家のサービスを無料または有料で得られるような一見消費者の権利であるがごとく錯覚する人が増えてくるように思えます。産業化の背景には、権利者であり問題解決の主体者であることが無効化されだしていることが危惧されるのです。

それだけに、生きづらさの問題解決の主体をひとりひとりの当事者の手に戻し、問題解決の主体に当事者がなれるような心理社会的支援の探究が求められるのです。恐らく今日の社会が、その臨界点と思われます。このまま先にいけば、多くの当事者は、心理社会的問題においてすら、誰かによって効率的合理的に管理・支配されることに慣れてしまい、ますます問題解決のための創造性や活力を失っていってしまうと危惧されるのです。

心理社会的支援の本質は、当事者だけではなく、支援者も、また、生きづらさの当事者の抱える問題を人ごとでない問題として共有し、その生きづらさの問題に対して、もっと共同研究的な協働作業をすることにあると思われます。しかも、実は、当事者中心の支援とは、生きづらさを被支援者と支援者が、共に生きづらさを共有し、共同研究的協働作業を通じて、より生きやすい人生の道を共創的に発見・創造することにあると思われるのです。そして当事者中心の支援とは、より生きやすい人生の道の発見・創造を、被支援者と支援者の関係の壁を越えて、共に当事者として、生きやすさを求めて変容する契機になるといえるのです。専門家も生きづらさを抱えた当事者であると頓悟するとき、当事者中心の支援となるのです。

ホロニカル心理学の立場からは、上記のように思えるのです。