疎隔化

有と無、理性と感性、ロゴスとエロス、精神と身体、主観と客観、内と外、主体と対象、自己と他者、自己と社会、自己と自然、自己と世界、自己と宇宙など、相対立するものをつないでいた媒介が忘れられ、一切合切の生き生きとしたつながりが分断され、すべての現象の無機質化やデジタル化が浸透した結果、すべての生き生きとした相互関係が疎隔化しはじめていないでしょうか。インターネット社会は、確かに人と人をつなぎますが、それは変換された情報であって、場を共創する直接体験レベルの圧倒的な触れ合いには残念ながら限界が伴います。

しかし相矛盾し対立するすべては、根源的には「即」の論理で結びついていると思われます。そのことを日本の哲学者である西田幾多郎は、東洋思想の根底を明らかにする中で、「絶対矛盾的自己同一」の論理として実在の論理を明らかにしています。この論理こそ、生成消滅の生命の一切合切の論理といえるのではないでしょうか。こうした論理を自覚していなくても、現代人は、矛盾に耐える力を失うとともに、矛盾を耐える根底としてのすべてをつなぐものの実感から疎隔化されつつあることを、“こころ”のどこかで薄々感じはじめているのではないでしょうか。