支援者の態度のもたらす支配性

ある箱庭

自己にとって、自己と世界の不一致・一致直接体験が実在する世界そのものです。自己と世界の出あいによる喜怒哀楽を感じとっている一瞬・一瞬、非連続的に自発自展する直接体験の世界が実在する世界です。厳密にいえば、直接体験の直覚後、なんらかの言葉を使って直接体験を識別して理解したときは、もはや直接体験そのもののアクチュアルな実在する世界からは一瞬にして離れてしまっているといえます。

この観点が、ホロニカル心理学に基づくホロニカル・アプローチの実践の哲学や倫理の基盤となっています。適切な心理社会的支援とは、当事者が自己と世界の不一致・一致の直接体験のすべてをあるがままに直覚し、直接体験のすべてを当事者自身の自己の上に起きた出来事として消化・統合し、適切な自己の自己組織化を図れるようにサポートすることと定義できます。

心理社会的支援においては、よく関係性が大切と言われます。しかし、関係性が重要といっても関係性自体は千差万別です。絶対君主と絶対君主にかしずく家臣や民衆との間においても関係性の重要性は強調されています。大切なことは、関係性の質的側面の差異を明確にすることです。関係性の質の差異と倫理の問題を不問にすると、暴力を駆使し子どもを死亡させながらも「子どもの躾のためにやった」と言う主張に対応することができなくなります。

気をつけなければならないのは、支援が、知らずのうちにソフトな支配に陥いることです。たとえば、支援者が、当事者に対して不用意に悲惨な過去の体験の言語化を求めると、被支援者にとっては、過去の想起とそのときの感情の明確化の作業が、外傷性体験の再体験になり、過去に附随した絶望感、無力感が支援の場に布置する危険性があります。そして、そんなタイミングで、支援者が当事者以上に物知りであるかのような態度で、被支援者の直接体験を解釈したりすると、支援者には過去の支配者が投影され、支援者が支配者のように感じ出し、被支援者は、ますます自分は無知で無力な存在だと自己卑下的になります。

こうなると当事者が自ら直接体験を直覚、消化・統合する作業の主体者となるという哲学と倫理から逸脱します。

生きづらさを感じている当事者の多くは、自己と世界の不一致・一致に伴う直接体験の一部あるは、人によっては、そのほとんどを、なんらかの理由であるがままに直覚できず、自己自身の人生に消化・統合できていない状態にあります。それだけに適切な心理・社会的支援とは、安全で安心できる場で、人生から切り離されたり、隔絶されたり、抑圧されている直接体験の断片を、自己自身の直接体験として消化・統合するのを支援し、自己の人生の自己自身が主役になることの支援にあるといえます。

直接体験の自己照合の作業は、常に被支援者に求めるべきです。支援者は専門的な解釈ではなく、<私は○○と感じたけど、今の私の○○というのを聞いて、今○○さんはどのように感じた>と支援者は、被支援が常に被支援者の直接体験の主人公になれるような応答に心がけることが大切になります。