
心理社会的支援の最前線では、“こころ”の野獣性の露出やパワーの濫用に対して、まったなしでの対応が求められます。しかしながら、これまで蓄積されてきた「臨床の知」は、日常生活場面の心的危機から、遠く離れた面接室、診察室、実験室で培われた「知」に基づくため、支援現場の求める智慧とは乖離しがちでした。
エビデンスがあるとされる既知のアプローチにしても、面接室や診察室で適切な変容が見込めたとしても、安全・安心が担保されていない苛酷な生活環境に被支援者の生活が戻った途端、再び深刻な心的危機を繰り返すという現実があります。
特に昨今社会問題化しているのは、DV、虐待、いじめ・いじめられ、セクハラ・パワハラなどの生活の場面における危機への対応が求められるものばかりです。
現実的な危機への対応といっても、誓約や訓戒による注意喚起、指導助言や対人関係の調整などによって、表面上の対立や確執を回避するだけでは、内的世界には、ひずみがより蓄積されていくだけです。いや、むしろ表面的対応だけでは、心的問題や症状を重篤化・深刻化させます。といって、緊急性の高い危機を前にして、ゆっくりと内的世界の変容を図る時間も余裕もありません。
こうした現実を鑑みる時、求められているのは、外的世界や内的世界において、“こころ”の野獣性の行動化から適切にサバイバルできる人生の道を徹底的に探究することといえます。
ホロニカル・アプローチは、こうした内的世界と外的世界を共に扱う必要性から誕生した心理社会的支援法です。
ホロニカル・アプローチでは、たとえば虐待に対して、次のようにアプローチします。心理社会的支援行為は、司法行為でも警察行為でもありません。あくまで支援の観点から虐待問題に対峙します。まず暴力の行使された修羅場の場面を、実際の生活空間や、間取り図と小物などを使って再現します(場面再現法)。この時、できるだけ慌てず、ゆっくりとあたかも映画フィルムのコマを送るように危機場面を忠実に再現していきます。安全で安心できる支援の場で、支援者と被支援者が共同研究的に場面再現を協働することによって、起きた出来事に対して一定の心的距離を置いて回想できるようにすることがまずは大切になるのです。また場面再現などを使った出来事の外在化は、対話だけの被支援者/支援者関係に、とかく被害者/加害者関係が投影されてしまう混乱を極力防ぐ目的もあります。
場面再現に目途がたったところで、<また同じような場面に遭遇したら、前とは違って、こんどはどのように受け止め、どのように振舞おうと思いますか?>など、より建設的で創造的な未来に向かって、より生きやすくなる道を被支援者と支援者が共同研究的に検討するような支援を徹底します。この時、専門家が「正しい道を知る者」としては登場しません。といって部外者として傍観的な態度や客観的な評価者の立場も取りません。むしろ、支援者も積極的に提案するなどして、より適切なサバイバルの道を、支援者と被支援者が協働して探究することがポイントになります。
過覚醒や興奮に伴う憤怒の出現に対するより適切な具体的対処法の検討。低覚醒・麻痺反応への適切な対処法の検討。暴力・威圧・否定・罵声以外の手段による問題解決法の検討。心理的危機回避後の支援関係の構築。物理的心理的ほどよい距離の取り方の具体的検討。無意識のうちにとっているサバイバル方法の意識化と共有化・・・。探究すべき課題は無限にあります。このとき最も大切なことは、実際の解決策を見いだすこと以上に、被支援者と支援者一堂が、協働してもっとも安全かつ安心できる道を模索するほどよい関係を構築することにあります。そうした適切な支援の場の働きが被支援者の自己に内在化されていくことが、その後の変容の効果につながっていくのです。
危機場面が減少し、基本的な安全が生活場面で確保された段階ではじめて、人間関係の調整やトラウマ・ケアやトラウマ・セラピーを開始することが可能になります。これらのことを個別面接、合同面接、当事者参加型の支援会議などを臨機応変に組み合わせて実施していきます。
暴力・威圧・否定・罵声など、パワーゲームに対応するためには、これまでの言語面接を中心とした支援者の受容型の支援から、支援者による能動的支援への転換が必要です。言語を中心とした内省・洞察・分析を中心とした支援から、安全と安心を脅かす行為に対する限界設定を明確にした上での、積極的なソーシャル・アクションを含めた統合的アプローチによる実践的智慧の集積への転換が必要になります。
人は内的世界と外的世界の不一致と一致を繰り返す存在です。内界と外界を単純に切り離すこともなく、また幻想的な理想を希求するのでもなく、できるだけ現実に即して両者の矛盾を統合できる方向に向かって人生を歩むことが大切というパラダイムがあって、こうした心理社会的支援がはじめて成立します。