有無

物と物のように有と有の対立ではなく、物と意識のように有と無が対立するというときは、哲学者の西田幾多郎が場所の論理で展開したような有無の対立そのものが映される場所がなくてはなりません。

対立そのものを映す場所がなければ、有と無が対立するという関係そのものが成立しません。しかも有無の対立を映す場所とは、場所自身の矛盾によって有無の対立が自己展開するような場所と考えられます。

“こころ”とは、まさに有無の対立が映しだされるといえます。