用と体(華厳思想の概念)

「異なるもの同士の関係を異体の関係といい、ある一つのものの中での自と他の関係を同体の関係といいます」(竹村牧夫,2002)。

「・・・『五教章』は、一つの関係という事態に対し、異体・同体の関係と、体・用の関係とを分けて見る視点を提示しているのです。異体の中の体の関係を相即、用の関係を相入といいます。同体の中の体の関係を一即多・多即一多、用の関係を一中多・多中一といいます。」

用を作用とし、体を存在とすると、外我も内我も作用といえます。内我は自己と世界の一致の無自性体験と不一致による自己と世界の実存的体験の直接体験を実感し、不一致体験のとき、外我が、本来、それ自体では実体などなく無自性の絶対無(空)の世界から、あたかも「有る」ように何かを識別・分別しているといえます。その意味では、外我も内我も実在する体でなく、用というべき働きといえます。

 

参考文献
竹村牧夫(2002).ブッタの宇宙を語る;華厳の思想(下).日本放送協会,p10.