
私たちの目の前に広がる世界は、絶え間なく変化し、多様な形をとります。この変化の中で、言葉に尽くせぬ一体感を感じる瞬間があります。それは、多様な要素が重なり合いながらも、一つの世界としての実感が生まれる瞬間です。
このような瞬間を繰り返し体験することで、私たちは多層的で多次元的な世界の中での統合と分化が、矛盾しながらも同時に存在することを理解し、無常という仏教の概念を深く自覚するようになります。華厳経に見られる「一即多・多即一」という思想は、このような実感・自覚に基づくと考えられます。
現代では、多様な価値を尊重する多元主義が、科学的普遍主義の一元主義に対する反省として欧米で議論されています。しかし、多元主義が一元主義より優れていると主張するならば、それは一元主義と同じ誤りを犯すことになります。一方で、一元主義をよしとする人は多元主義が秩序のない相対主義に陥ると批判します。どちらの主義が正しいか、または望ましいかという問いに対しては、状況によっては政治的な争いに発展する可能性があります。
ホロニカル心理学は、主義や論理を超えた、非言語的で無我のレベルでの実感に基づく理論を重視します。この観点からは、多元主義も一元主義も、外我が内在化したホロニカル主体(理)における論理的なパラダイムの差異と考えます。これらのパラダイムの衝突をホロニカル心理学の実践に置き換えると、次のようになります。
多元主義と一元主義の差異を認めつつ、それぞれの外我が内在化したホロニカル主体(理)の不一致による曖昧さや不確実性を受け入れながら対話を続けることが重要です。こうした対話を「ホロニカル対話」と概念化できます。具体的な苦悩を契機とした「ホロニカル対話」は、多様性と一元性の間のバランスを見つけることを可能とし、抽象的な議論を超えた意味を持ちます。個々人の具体的な苦悩に対する理解を深めることで、多様な価値観を持つ人々の間で、自己と世界(他者)との関係性における微妙な不一致と一致を直覚することができます。このプロセスを通じて、多元主義者は多元主義の中の統合性を、一元主義者は一元主義の中の多様性を、より深く実感し、共に実感・自覚を深め広げていくことができます。