自己違和的体験

AIで作成

人は、執拗に反復される自己と世界の出あいにおける理不尽な出来事に晒され続けることがあります。こうした自己違和的体験に対して、人によっては、自己自身の存在価値を自らを過剰に毀損したり、他者や世界に対しての激しい憤怒を露わにします。

しかしながら、こうした態度が執拗に繰り返されると、周囲の人からすると、次第に演技じみていたり、あまりに誇大的で万能的で耐え忍ぶ力が足りないよう思われてしまいます。その結果は、かえって対人関係の悪循環パターンを重ねることになり、事態は悪化の一途をたどることになります。

精神医学で境界性パーソナリティ障害(BPD)と診断されるタイプの人にも当てはまります。

ホロニカル・アプローチでは、こうした人たちには次のような対応を試みます。

まず被支援者にとって理不尽な自己違和的体験と感じた場面を小物など使って心理劇風に再現していきます。場面再現法と概念化しています。

次に再現された場面について支援者は、ABCモデルでいえば、自己違和的体験であるA点を共にし、自己違和的体験に対して徹底的に共鳴しながらも、適切な観察主体のポジションC点から自己違和的体験であるA点に陰性感情を抱きながら没入している状態を、俯瞰的にホールドするようにしながら、あるがまま照らし返していきます。誠実な態度で、A点に苦悩する被支援者を鏡映的に照らし返していきます。「生きていても何もいいことなんかない」「私なんか消えて無くなればいい」「誰も私のことを何も分かってくれない」「どうせみんな私が悪いでしょう」といった誇大的で万能気味の自己愛の傷つきに対して、あたかも被支援とその苦しみを共にするかのように共振・共鳴しつつ、そうした自己自身を俯瞰的ポジションから被支援者自身があるがままに俯瞰できるように鏡映的に照らし返していきます。

あるがままの俯瞰とは、無批判・無解釈・無評価の態度でA点に埋没している被支援を受容することです。

しかしながら被支援者は、支援者のようにA点に埋没している自己をあるがままに俯瞰し受容することはできません。A点に埋没している自己自身を批判し、軽蔑し、無価値化します。A点没入状態の自己自身を被支援者の観察主体が、さらに否定していくという悪循環から自ら抜け出せません。

被支援者の観察主体と観察対象となっている自己(世界)の悪循環パターンが明らかになってきたら、支援者は、被支援者の観察主体と観察対象の悪循環パターンをあるがままに俯瞰しながらあるがままの被支援者を包み込むようにしていきます。

こうした支援は、支援者自身が支援者の態度を取り込みながら、A点に没入している自己自身を適切な観察主体であるC点から支援者が不在になっても俯瞰できるようになるまで続ける必要があります。ケースによっては、数年単位になる場合もありますが、支援者以外に適切な観察主体を共創できる身近な支援者の存在があれば時期は短縮することができます。

ただし、支援者自身が執拗にA点に没入する被支援者に対して陰性感情を廃して、無批判・無解釈・無評価の立場から俯瞰できるようになるためには、教育的自己分析やケースごとにベテランのスーパービジョンを受ける必要があります。