
年々猛暑化するこれからの日本で生き抜くためには、亜熱帯的な生き方が大切になるのではないでしょうか。
グローバルレベルでの情報伝達が高速化・加速化するドモロジー(フランスの哲学者ポール・ヴィリリオによって提唱された概念)社会において、刻々と変化する世界情勢や市場の動向をいち早く把握し、限られた資源の熾烈な獲得競争を可能とする迅速かつ効率的な判断を求める生き方とは、対照的な生き方です。
高温多湿な気候は、日中の活動を制限します。そのため自然と、昼休みのリラックスを重視したストレスの少ない生き方が求められます。経済活動においては、できるだけ地産地消や自然環境、ローカルな祭事を重視するなど、地元の風土との共生を重視したスローな生き方が重要です。
「今・ここ」という生活現場に、しっかりと地に足をつけた生き方です。
しかしながら現代社会は、市場原理と競争原理の激化の嵐にあって、産業や経済構造もグローバル化の競争に勝利することに価値を置く政策を偏重してきたため、生活現場から血縁どころか地縁的ローカル性が徹底的に破壊され尽くされています。
こうした危機は地球規模で進行し、グローバル化を成し遂げた一部の勝ち組が神話化されます。しかし政治的神話は強烈です。こうした神話は、自らの立場が、弱者の立場にあるのは自助努力の不足や競争社会からの脱落と受け取らせることにも寄与します。こうして、少数の勝ち組に対して反抗なき、マジョリティの弱者を作り続けることになります。またグローバルな市場主義、競争原理を重視する政治思想は、案外、ナショナリズムと融合します。自分の立場が,
弱者の立場に追いやられるもう一つの要因は、同じような価値を共有しない他国にあると扇動する自国優先主義のナショナリズム的言説によって、普遍的価値を順守せねばならないと自国民を誘導することに結びつきやすいのです。こうして内向していた不満は、一気に過激ナショナリズムにつながっていきます。こうして弱者化されている自らの立場を忘却し、自ら格差化を受容していくのを加速化させています。
しかしここで明確化すべきことは、果たして国民の一人一人が、いつでもどこでも自分の意思で自己決定できるかという問題です。
プロパガンダの問題です。人は、一部の劇場型の扇動的な特定の主義や思想に、知らずのうちに誘導されてしまっているのではないでしょうか。
人がいとも簡単に特定の過激な主義主張に誘導される時には、ある特徴があります。対立の過剰な強調です。敵は外にあるというわけです。自分の立場をそこまで不幸に追いやる原因は〇〇にあると巧妙に煽る政治的思想です。こうした扇動は敵とされた側の不信と激情をも刺激しますから、危機は現実化していきます。特定の対象の危険性を過剰に煽り、今の自分の不幸は〇〇にあると思わせることによって、人を誇大的万能的気分に酔わせるのです。もしも場全体がそのような興奮のうちに我を失うと、そうした流れに真っ向から抵抗しようとすると、とても大きな困難に直面することになります。
人は、激情型の強い言説に巻き込まれやすく、時には、自らが劇場型の誇大的万能的な一時的高揚感に呑まれてしいます。
それだけに生きづらさに対して、いかなる問題を問題とするかに関して、常に社会政治的な言説の影響があることを見逃さないようにすることが大切です。
亜熱帯的生き方の重視とは、社会政治的立場の表明でもあるのです。