
私たちは、世界を「物」と「精神」、あるいは「客観」と「主観」に分けて語りがちです。しかし、その二分が成立する以前に、両者を生み出す基盤があるのではないか、この問いが本稿の出発点です。ホロニカル心理学では、この基盤を「働き(はたらき)」として捉えます。働きは、物理的出来事と精神的出来事の双方を成立させる生成の場であり、どちらにも還元されない実在だと考えます。
実在は、静的な「何か」ではなく、差異を生み、関係を立ち上げ、出来事を開示する動的な働きです。物理現象も精神現象も、この働きの具体化として現れます。ゆえに実在を、唯物論の物質的なものや、観念論の精神的なもの、あるいは現象論の記述枠だけで包摂することは難しいと考えられます。実在は基体ではなく、基体を基体として立ち上げる生成のプロセス=働きであると考えられます。
日常的には、「私が世界をみる」という主観の側から客観を把える語りが一般的です。しかしホロニカル心理学は、主観と客観のどちらが先でもなく、両者を同時に生起させる働きの方が先行すると捉えます。主観も客観も、働きが自己差異化するときに分岐して現れる出来事です。したがって、主観/客観という区別は、実在の根底にある「働き」の二次的な顕れに位置づけられます。
この「働き」中心の見取り図は、哲学の文脈では「絶対無」、宗教の文脈では「空(くう)」と呼ばれてきたものに接続可能であると考えます。いずれも、固定的実体を想定せず、あらゆるものを生起させる開かれた(場)として捉える見方です。本稿は、伝統概念をそのまま同一視するのではなく、生成をもたらす働きという観点からその親和性を示します。
ホロニカル心理学では、名づけがたいこの働きのフィールドを、広い意味で“こころ”と呼びます。“こころ”は個人の内面に閉じるものではなく、関係や出来事を生み出す生成の場です。個人の体験、身体感覚、思考、感情、そして社会的相互作用は、このフィールドの自己差異化として理解できます。したがって“こころ”は、内と外、個と世界を貫いてはたらくと考えられるのです。
この立場は、唯物論でも観念論でも現象論でもありません。実在を「働き」として捉え、そこから物理・精神・主観・客観の分化を説明する見取り図を「ホロニカル実在論」と呼ぶことができます。ホロニカルとは、一即多・多即一の関係性を前提に、部分と全体、個と関係が相互に包摂しあう構造を指します。実在=働きが自己差異化するとき、個と世界、内と外は相互包摂的に立ち上がると考えられるのです。
実践の場では、“こころ”を内面の「内容」として操作するのではなく、働きの「場」として調律することが重要です。たとえば、認知を変えるだけではなく、多層多次元にわたる出来事の関係性の脱構築が大切になります。人生の物語の再構成を通じて、主観/客観の分節そのものを組み替えることが大切です。“こころ”の問題を個の内面に閉じることなく、場・関係・時間の層や次元を含めて見直していくことが必要です。
ホロニカル心理学に基づく、ホロニカル・アプローチは、実在=働きの観点から、“こころ”というフィールドの整え直しをめざすアプローチです。実在は、物でも精神でもない「働き」であり、その働きが主観/客観・物理/精神を生み出します。ホロニカル実在論は、本来、生成の論理を“こころ”という開かれた名のもとに記述し、臨床と社会実践へ橋渡しする立場です。固定的実体に寄りかからず、生成の働きを捉え直すこと、それが、私たちがよりよく生きるための理論と実践の接点になると考えます。