“こころ”とは(81):光と影の二面性

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私たちの意識の底には、常に私たちを突き動かしている見えない働きがあります。

それは単に感情や思考の源泉ではなく、生命そのものを動かす“”の働きです。ホロニカル心理学では、この場を“こころ”と定義します。哲学的には「絶対無」(西田幾多郎)、仏教的には「空(くう)」と呼ばれ、一切の生成と消滅、存在と非存在が交錯する根源的フィールドに相当します。

“こころ”とは、出来事が起こり、消え、また自己の内に映し返される場です。すべての体験や思考は、この“こころ”という場において展開し、再び“こころ”へと自己言及的に帰っていきます。しかし、私たちは出来事そのものに意識を奪われ、この場を支えている根源の働きをしばしば忘れてしまいます。けれども、私たちが何かを感じ、考え、判断しているとき、その背後では常に“こころ”という場が、必ず世界を映し出す鏡として働いています。

自己の“こころ”は、私たちが生きている場所――すなわち社会的・文化的・歴史的な「場」が抱えるあらゆる矛盾や対立を映し込みます。“こころ”はその矛盾を引き受けながら、絶えず新しい秩序を探り出そうと自己組織化していきます。自己とは、内なる“こころ”に映された対立や苦悩を抱きつつ、それらを止揚し、より全体的な統合を志向する動的な存在といえます。

こうした現実を考慮するとき、“こころ”は、個人の内的世界の働きにとどまりません。
“こころ”は、外界の世界にも開かれ、世界そのものにも“こころ”の働きを感じ取ることができます。歴史的・社会的・文化的現象は、世界という場の“こころ”の顕われを感じとっているといえます。私たちの“こころ”は、その世界の“こころ”に包まれながら、同時に新たな世界を創り出していく創造的運動の一部といえるのです。

しかし世界の“こころ”は、常に矛盾と対立に満ちています。そうした世界の中で生きる私たちは、世界の矛盾を自らの“こころ”に引き受け、苦悩せざるを得ません。けれども、苦があるからこそ、楽を希求する働きが生まれます。絶望の闇が最も深まったその瞬間、逆説的に新たな希望の光が、“こころ”という場の奥底から差し込んでくるのです。こうして私たちは、今日まで生き延びてきているといえます。

“こころ”とは、光と影、生成と消滅、愛と苦が同時に働く場といえるのです。
“こころ”は、二面性を抱えながらも、私たちは“こころ”の動的な流れの中で、生き続けているといえます。