自己が真に「私自身」であろうとするとき、私たちは自らの内側だけでは完結できない存在であることに気づきます。内的世界には、つねにどこか満たされない断片が残ります。それは欠陥ではなく、むしろ、外的世界へと手を伸ばし、そこに散在する意味や経験を取り入れ、自己の内部へと統合していくための“余白”です。
この余白に外界を迎え入れる働きこそ、ホロニカル・アプローチが重視する「自己と世界の縁起的包摂」のダイナミズムであり、一人ひとりの個性化のプロセスを形づくる要です。
真の自己は、内的世界だけをいくら掘り下げても顕れてはくれません。外界を閉ざしたまま独りで深みに潜り込めば、そこに広がるのは無底の虚無、光の届かない暗がりです。その暗闇は実体ではなく、「外界を退けた自己」の影にすぎません。
しかし、無底だと思われていた深淵が、実は外界へと通じる“開かれた底”であることに気づく瞬間があります。孤立した内面の深みが、外界の広がりと響き合い、相互に反射しながら一つの意味世界を編みはじめるのです。
この覚醒の瞬間、自己は世界から隔絶された存在ではなく、むしろ世界の諸相を包み込みながら絶えず生成する“多層多次元的な存在”として立ち上がります。ここに、ホロニカル心理学がいう「自己と世界の一致」が生じます。
つまり、私が私自身になるとは、自己の内部に不足を見つけ、それを外界から補うという単純な作業ではありません。むしろ、外界と自己内界とが互いに沁み込み合い、縁起的に結びつきながら新しい意味構造を創り出す、自他包摂的なプロセスなのです。
私たちは、外界から閉じれば閉じるほど、かえって“私自身”から遠ざかります。他者、自然、文化、歴史との関係性に自らを開くとき、初めて自己は自己の真の輪郭を帯びはじめます。
真の自己とは、「私は私である」という硬直した宣言ではなく、「私は世界とともに生成し続ける」という、動的で開かれた在り方です。
外界に向けて開いたその隙間から、世界が流れ込み、同時に私も世界へと滲み出していく……そのとき、私たちはようやく“真の自己に出あう”のです。