還る時を生きる

立春が過ぎ、「春は名のみの 風の寒さよ・・」と早春賦の歌詞を実感する季節。
中学校にも勤務している私にとっては、卒業していく子ども達を見送る季節となります。
先日、来春中学に入学する六年生の子ども達に話をしに出かけました。
中学入学を期待と不安の中で過ごしているだろう子ども達に何を伝えようかと考えたとき、谷川俊太郎氏が詩を書き、田淵章三氏の写真で「子ども達の遺言」と出会いました。

 

 

「子ども達の遺言」 佼成出版社   2009

谷川俊太郎・詩 田淵章三・写真

子どもが生まれてから、20歳までの様子を写真と詩で追いかけて行っています。

 

 

「生まれたよ ぼく」
  生まれたよ ぼく   やっとここにやってきた  まだ眼は開いてないけど
  まだ耳も聞こえないけど  ぼくは知ってる ここがどんなにすばらしいところか
  (中略)
  いつかぼくが  ここから出て行くときのために  いまからぼくは遺言する
  山はいつまでも高くそびえていてほしい 海はいつまでも深くたたえていてほしい
  空はいつまでも青く澄んでいてほしい
  そして人はここにやってきた日のことを  忘れずにいてほしい

という詩とともに、出産の日の様子の写真が添えられています。

「ひとりきり」という章は、小学生の男の子と幼児の妹の写真があって、
  ぼくはぼくなんだ ぼくは君じゃない この地球の上に、僕ぼく一人しかいない

続いて、「走る」「いや」「ゆれる」等の章があり、最後に「ありがとう」の章がある。
この章は、成人式を迎えた女性の写真が添えられています。

「ありがとう」
  空 ありがとう  今日も私の上にいてくれて  曇っていても分かるよ
  宇宙へと青く広がっていくのが
  (中略)
  でも 誰だろう 何だろう  私に私をくれたのは?
  限りない世界に向かって 私は呟く   私 ありがとう

人は生まれ、「一人きり」である寂しさと、尊厳を感じながら、生きていく。
生きていることを実感できる瞬間。自己主張したり、世界とのつながりを感じ、「限りない世界に向かって」「わたしありがとう」と言える瞬間が持てるような人生を感じて欲しいな
迷ったり、苦しんだり、したときには、ちょっと私の所に来て話一緒にしてみようと思って欲しいな・・・
と、思いながら、六年生の子ども達に向けて、詩を朗読しました。

還暦を過ぎ、孫を持つ一方で、介護が必要な親を持つ世代となった私は、まさに「暦が巡る」感覚を実感しています。
世代交代を繰り返しながら、それぞれに唯一無二の人生をどう生きるのか?

  花 ありがとう  今日も咲いていてくれて  明日は散ってしまうかもしれない
  でも匂いも色も もう私の一部
  (中略)
  限りない世界に向かって 私はつぶやく  私 ありがとう

世界にも自分にも感謝できる、そんな一瞬を実感できる時間を 私も持ちたいなと思います。

(前田由紀子)

 

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