自己(場所的自己)は語り尽くすことはできず、場所的自己を前にして、我(現実主体)は、究極的には沈黙せざるを得ません。我(現実主体)は、沈黙のうちに語り尽くせぬものに思いをはせるか、場所的自己からの呼び声を待つしかありません。
場所的自己は、自己と世界との出あいの不一致・一致の体験のすべてを包摂しています。場所的自己は、自己が生きる場所の多層多次元にわたる一切合切の矛盾を自身に映しとり、自己内に包摂し、その矛盾対立が、少しでも統合する方向に適切な自己を自己組織化しようとし続けます。
沈黙とは、あまりに語り尽くせぬからこそ、ただ沈黙によってその豊穣さを直観的に了解するかないのです。言葉にした途端、生々しさが失われてしまうのです。