共感とは

人と人が共感しあう時とは、自己と他者が一瞬一体化する体験といえます。ホロニカル心理学では、ホロニカル体験と呼ぶ現象です。

この時、他者とは、自己とは異なる非自己化された世界といえるので、人と人の一体化の瞬間とは、自己と世界の一体化の瞬間とも言い換えることができます。共感的関係がホロニカル体験である限り、その一瞬においては、自己=世界となり、自己と世界の境界は無境界となっています。

ホロニカル体験は、意図的には起き難く、ふと突然場から沸き上がってくる体験といえます。共感についても同じです。

共感は、意図的に共感しようとしたり、共感されたいという行為によっては生じ難いといえます。むしろお互いがお互いを理解しようとする対話のなかで、何かを理解しようとしたり判断するという行為が無くなっいくような関係になっていったある瞬間、お互いが独立した自分でありながらも、一方では、あたかも同じ特異点に共にあるような感覚として、その場において突如として起きてくる現象といえます。

それは、これまでの微妙に異なる“こころ”の波のお互いの重ねあわせ作業によって、ある瞬間、あたかも突如として異なる波動の波が重ね合わさってできた大きなピークの波が場から創発されたかのような現象といえます。

ホロニカル体験の一瞬では、内的世界と外的世界の区分もなく、すべてがホロニカル体験として一となっています。しかし、ほんの一瞬でも識別意識が働くと、一体化はたちまちのうちに、すべては意識するもの(自己)と意識されるもの(他者)に分断されてしまいます。

無意識にもかかわらず体験といえるのは、ホロニカル体験時には、主体には、無境界的な感性的体感がしっかりと実感としてあるからです。こうした感性的体感をたしかな手がかりとして、ホロニカル体験があったと主体は事後的に自覚できるわけです。

ホロニカル体験は、事後的に自覚することができても、意識しようとしてホロニカル体験を体験できるものではないことに注意を払う必要があります。むしろ意識的にホロニカル体験を求めようとすると、ホロニカル体験を得ようとする主体とホロニカル体験の間に分断され、ホロニカル体験は得られません。悟りを得ようとしても、悟ることに執着してしまって、逆になかなか悟りを得られないのと同じです。

したがって、ホロニカル体験でもある共感は共感しようとするものではなく、人と人の間に自ずと生まれてくるものと考えることが大切です。共感を求める人は、共感体験をいつまでも得ることができず、共感を得られないことに激しい憤怒を抱きがちです。また共感をしようとする人は、ただひたすら受動的に共感されることを嗜癖的に求める続ける人を産み出す危険があるといえるのです。