
創造され過去となったAの世界が再び否定されるところに、新しいBの世界が創造されます。もしAがAのままで同一ならば、そこには変化はなく、静止した世界といえます。そこには創造的なるものの働きはないといえます。
一瞬・一瞬、時々刻々と、すべてが過去となって否定される無常の世界が、実在する世界といえます。
ただし、ここでいう「否定」とは、Aの世界を消し去り、無意味なものとして切り捨てることではありません。Aは過去となることによって、現在の表面からは退きますが、その経験や意味、関係性は、新しく創造されるBの世界の内に包摂されています。BはAとは異なる世界でありながら、Aとまったく無関係に生まれるのではありません。Aを受け継ぎつつ、それを超えて新しく立ち顕れる世界なのです。
たとえば、いま交わされた一つの言葉は、発せられた瞬間に過去となります。しかし、その言葉によって相手の表情が変わり、場の雰囲気が変わり、次に語られる言葉も変わっていきます。過去となった言葉は、もはや同じ形では存在していませんが、次の出来事を生み出す働きとして、現在の場に生き続けています。このように、消滅することと創造されることは、別々に起きているのではありません。何かが過去となることそのものが、次の新しい世界が立ち顕れるための契機となっているのです。
ホロニカル心理学では、自己も世界も、あらかじめ完成した固定的な存在としてあるのではなく、自己と世界との出あいのなかで、一瞬・一瞬、相互に関係しながら生成されていると考えます。Aの世界における自己と、Bの世界における自己は、連続した同じ自己でありながら、まったく同一ではありません。自己は過去の自分を包摂しつつ、世界との新たな関係のなかで、絶えず新しい自己として創造され続けています。
この意味で、自己同一性とは、変わらない実体を保ち続けることではありません。むしろ、変化し続けながらも、それまでの自己を失うことなく、新しい自己へと自己形成していく働きにあるといえます。変わることによって自己であり続け、自己であり続けることによって変わることができるのです。そこには、同一性と差異、連続性と非連続性、生成と消滅とが、相互に否定しながら相互を成り立たせる関係があります。
また、AからBへの移行は、自己の内部だけで完結するものではありません。自己が変われば、自己にとっての他者や世界の意味も変わります。同時に、他者や周囲の状況が変化すれば、そこに立ち顕れる自己も変わります。自己が世界を創造し、世界もまた自己を創造するという相互生成の働きのなかで、Aの世界はBの世界へと移り変わっていきます。自己と世界は、互いに独立した二つの実体ではなく、互いを包摂し合いながら、一つの出来事の場を創造しているのです。
したがって、実在する世界とは、固定された物や状態の集合ではなく、過去となることと新しく生まれることとが同時に働く、動的な生成の場であるといえます。一つの世界が否定されることによって、多様な可能性が開かれ、その多様な可能性が新たな一つの世界として統合されます。そこには、「一」から「多」が創発し、「多」が新しい「一」として関係づけられる、一即多・多即一の働きがあります。