自己が生死をかけながら、歴史・社会を創り出す場所が、「無」であり、その究極は「絶対無(空)」とするパラダイムが東洋思想の根底にあります。
そして、「個」が「無」の実感・自覚を深めていくことが、真の自己になるというわけです。
東洋では、「絶対無(空)」という場所において、自己のみならず、他者を含む万物の出来事が生成消滅していると考えます。すべてが「絶対無(空)」から立ち顕れてくるという現象というわけです。そうした実感・自覚は、一即多、多即一という世界観をもたらします。
しかしながらすべての現象世界を、本来は、「絶対無(空)」の仮象の姿と実感・自覚することは、内的世界において救われても、そのことによって、直ちに社会・歴史的な外的世界において救われるとは限りません。
外的世界は、むしろ「絶対的なるもの」をめぐって、激しい対立や闘争を繰り返す世界です。
それだからこそ、私たちは、自己と世界の内的な合一体験を直観し、その直観を手がかりに自己と世界の不一致に耐え忍びながら、少しでも自己と世界が一致するように、自己自身や世界を変容しようと精進するしかないといえます。