カウンセリングマインドの影

宮古島の海

ここ半世紀にわたってカウンセリングマインドが日本社会に浸透しました。しかしカウンセリングは、洞察、内省、分析など、観察主体による自己及び世界に関する適切な自己観察の能力があることが前提になります。観察主体の脆弱な人や子どもや、そもそもカウンセリングなど受ける気持ちすら無い人には、その効果に限界があります。

カウンセリングの三条件とされてきた「自己一致」「無条件の肯定的配慮」「共感的理解」についても、理念的目標と現実の差異を自己点検する上でとても大切になるものの、この3条件で対応できるケースはごく限られています。こうした現実に目をつぶって、ひたすら受容と傾聴による対応を継続しても、結果的には、共感してくれる人への依存心ばかり強めたり、その逆に共感してくれない人への憤怒を高めてしまう危険性すらあるのです。いや、すでにここ何十年のカウンセリングマインドの浸透の影の社会問題としての悪影響は、もはや看過できないところまで来ていると思われます。

自分の思い通りにならぬ自己及び世界(他者を含む)への苦悩を抱え込みながら、少しでもより良き人生の道を自ら発見・創造していく当事者の力が、カウンセリングマインドによって、むしろ脆弱化しているのです。これでは、支援者自身が、苦悩を抱える人の問題解決能力を奪ってしまうとすらいえるのです。当事者として悩む力すら、支援者によって奪われ出しているのです。

観察主体の脆弱な人に対する心理社会的支援は、もっと適切な観察主体自体を育むものでなくてはなりません。そのためには支援の自体が、適切な観察能力を育む力を持っている必要があります。適切な観察能力を育む場とは、人と人が、苦悩を抱え合いながらも助け合って生きているという関係に目覚めることができるような場です。被支援者・支援者関係に共に、生き辛さを抱えあう者同士として、支え合いながら、よりよき人生の道を発見・創造しあっていくことを可能とする社会的包摂能力をもった場の構築が大切なのです。そうした社会的包摂能力が自己内に内在化されていくことが、適切な観察能力を育むと考えられるのです。