ホロニカル心理学誕生の源

家庭、施設、学校、企業や特定の地域社会など、「ある限定された場所」において、価値観、意見、信念、思想や倫理観などが異なることによって、対立・分裂が激化し、場所自体が全体性や統合性を失い、秩序と無秩序が交錯し、カオス的な危機に陥る場合があります。学校崩壊、学級崩壊、授業崩壊、企業崩壊、ある職場の崩壊、施設崩壊、虐待、DV等による家庭崩壊、DV、パワハラ、モラハラ、セクハラによるある限定された場所における倫理観の崩壊などが、常態化してしまっている現場は、かなりの数にのぼっていると思われます。

こうした荒廃する現場では、多職種、多領域にわたる対応が求められます。ところが、実態は、現場の混沌をそれぞれの関係者が自らに映すようにして、関係者同士が対立・分裂してしまっている場合すら、実は珍しくありません。こうなると現場は、多少の犠牲者が出ても止むを得ないと考える強行派路線と、ひとりひとりの多様性を尊重する路線が、両極となって対立し、あたかもどこかの国と国が争っているかのような戦場となります。

こうした修羅場では、日常生活が安定性を失い、その場所に生きる人のほとんどが、多層多次元にわたる問題や複雑な問題を自らの“こころ”に抱え込むようになります。

そのため、こうした修羅場に生きる人たちの多くは、生活現場から離れた面接室や診察室になかなか行こうとしません。またたとえ、その門を叩いたとしても相談動機や意欲は弱く、なかなか簡単には変容できません。また仮に面接室や診察室で、“こころ”の傷をほんの一時だけ和らげることができても、毎日、事件は生活現場で起きていて、面接室や診察室で、たとえ良くなったとしても、修羅場に戻れば、忽ちのうちに元の木阿弥になることを自らよく知っているものなのです。しかし、支援者がまたそうした“こころ”の内外の現実をよく識る者であれば、生活現場から離れた面接室や診察室でも変容が可能となると思われます。

昨今では修羅場化した生活現場に入っていき、適切な場所づくりにも積極的にチーム対応をする意志と技術をもった心理社会的支援者が求められだしています。カオス化している場所自体の変容を図らなければ、いくら個別対応を充実させても、期待するほどの効果がでない実態が次第に明らかになりつつあるからです。ところが、支援者側の多くは、これまでの伝統的な生活の場から離れた非日常の場で培われきた心理社会的支援に関する理論や技法による専門性を身につけてきてしまっています。その結果、ベテランの支援者ほど、古巣の面接室や診察室を一旦離れた途端、これまで長年培ってきた専門の理論や技術だけでは、現場の実態に即して何か創意工夫を図らないことには、上手く対応できないという厳しい現実の壁に突き当たることになります。

しかし、こうした時には、従前の支援の理論や技法のパラダイムの枠を超えるような勇気と新しい理論と方法を自ら創りだそうという構えを持つことが大切になります。支援の現場が、カオス的な生活のにあるときには、これまでの伝統的な支援ができるだけではなく、臨機応変で、柔軟な即興劇的な動的な支援を刻々行っていけるような新しい理論と新しい技法が必要になるのです。これまでの伝統的支援のパラダイムが古典物理学とするならば、量子力学にシフトすることにも匹敵するような、新しい心理学構築へのパラダイムシフトが必要になってきているのです。

こうした実践即論理ともいうべき支援では、伝統的な面接室や診察室における心理的支援の訓練を受けた人が、もし何も知らずに複雑な場に放り込まれると、一種の魂の危機にも似た状態に一時的に陥り、支援者自身が心的混乱の渦に巻き込まれ、まさに悪夢を見ることなります。しかし、まさに悪夢のような混乱の渦を、支援者自身が自らの場所的自己に映し、自らの混乱と場所の混乱とがほんの少しで一致して収束するポイントを探しながら即興的な支援を模索できるようになると、秩序と無秩序と交錯するカオスの縁において、支援者と被支援者の生きる場所から、新しい秩序が創発され、その波がやがて場所全体に波及することも起きるのです。そうした新しい変容は、あたかも氷が水に、水が蒸気に変容するがごとくです。まさに新しい文化と風土をもった場所が新たに自己組織化されてくるのも、歴史的事実なのです。

場所的な矛盾対立が支援者の場所的自己に映され、それを支援者と同じ場所に生きる人々と共有し、共同研究的協働作業のうちに、お互いが少しでも共振しところを模索した時、それぞれの波が重ね合うようにして、そこに新たな新秩序が生まれてくる契機となることができるのです。

家庭訪問による支援、あるいは福祉現場における施設における支援、学校現場での支援など、日常生活と非日常性が交錯する現場においては、場所的自己に映された混沌や対立をお互いが対象化し、外在化し、共有しあいながら、適切な距離をもった共同研究的協働による観察の立場から、出来事を自由無礙の立場から俯瞰し、お互いが次なる少しでも生きやすくなる新しい生き方を即興的に求め合っていくという、実践即論理即研究の姿勢が必要となるのです。変化の前兆としては、立場の差異を超えて、お互いが、まずは、足下の現実を見立てながら支援し、支援しながら見立てるといった動的循環が自ずと必ず先行して生起しだします。それは、これまでのような静的なアセスメントとエビデンスの高いプログラム化された対応とは、まったくパラダイムが異なる実践となるのが普通です。

ホロニカル・アプローチは、まさにそうした錯綜する生活現場を生き抜いてきた心理社会的支援法であり、ホロニカル心理学は、その結果として形成されてたものです。