人の主体性

人の主体性は、何かを認識すると言う行為にあるのではなく、理(ホロニカル主体)を内在化した我(現実主体)が無我となり、直接体験そのものとなって、行為的直観的(西田幾多郎)に生きることにあると言えます。自己自己と世界と出あい不一致・一致の直接体験のままに生きることが主体的といえるのです。

自己と世界の出あいにおいて、ただ受動的に生きるのではなく、といってひたすら能動的に生きようとするのでもなく、受動から能動へ、能動から受動へと両者が相矛盾しながらも同一にあることに気づくところに主体性があるといえるのです。感性や身体が感じ動くところを手がかりとして創造的に生きることそのものが主体的といえるのです。

自己が自己自身と世界の関係を自ら創造していくところに主体性があるのです。

認識による主体性とは、こうした行為的直観を実感・自覚することといえます。行為的直観なき主体性は、本来の主体性ではないと考えられるのです。

人の主体性とは、自己自身から生まれるものではなく、自己が生きる場所において、世界によって生かされながらも、一方で世界に呑み込まれかねない自己が、自己として生き延びるために自己自身を自己組織化しようとしたり、自己が生き延びるために世界に対して働きかけようとするところに生まれるといえます。

人の主体性は、自己自身にあるようなものではなく、自己と他者、自己と世界との関係において、生かされ生きようとするところに自ずと生まれてくるものといえるのです。