無限の創造性を孕んだ絶対無(空)が、絶対無自身を自己否定して、絶対有としての世界を創造しようとする働きが生命の源と考えられます。
生命の意志は、絶対無(空)が、絶対的有の多様な世界自身を創造しようとする絶対的意志に源があると考えられるのです。
しかも生命自らが自己組織化する能力を身につけ、かつ個物としての自己が死滅しても自己組織化の能力を継承する力を獲得し、そのもっとも高次な存在として人間の自己を創造したと考えられるのです。こうして人間の自己の抱く意志には、世界の絶対的意志(西田幾多郎)が包摂されているといえるのです。こうした絶対的意志が、「神」「仏」といわれると考えられられます。
人間の自己は、ただ個の意志として自己組織化するのみならず、創造的世界の一要素として個人の意志を越えて自己組織化しているといえるのです。
目は、世界が世界自身を視覚情報を通して見るため創造されてきたといえるのです。耳は、世界が世界自身を聴覚情報を通して聴くために創造されてきたと考えられるのです。世界が世界自身を理解し、世界自身を自己表現するために万物が創られていると考えられるのです。
この観点からすると、私が世界を見ているのではなく、世界が私の目を通して世界を見ていることになります。