開かれた対話(3)

心理社会的支援ので対話を開かれたものにしていくためには、唯一正しい普遍的な真実について語り合うのではなく、刻々変化する出来事について柔軟な姿勢で語り合うことが必要です。

真実をめぐる語りは、事物の本質の理解の正誤や、問題発生の因果論的解析を中心とした語りになります。しかも、そうした語りは、案外、お互いの独我論的な価値観が邪魔しあって対立的な会話になりがちです。

因果論的な思考による対立を越えて、より開かれた対話を可能とするためには、刻々変化する出来事に対して、お互いがお互いの捉え方の差異を語りあい続ける方が、むしろ新たな観点を共同研究的に創発しあうことにつながります。

支援の場では、クライエントに生き辛さをもたらしている具体的な出来事について、クライエントとカウンセラーが自由無礙に語り合うなかで、これまで思いつかなかったような対応策が創発されるのです。

しかも、ある出来事に徹底的に迫る場合には、言葉では語り尽くせない限界をあらかじめ了解しあっていることが大切です。共創的な語りあいは、既存の物語の捉え方の解体と再構成の繰り返しです。客観的で唯一正しい物語などはないといえるのです。

ホロニカル心理学にとって、心理社会的支援の場は、ある出来事についての共同研究的協働の場といえるのです。

因果論的な思考の枠組みでは、異なる本質をもって自律独立した存在である事物同士が絡み合って全体のひとつのシステムを作っていると認識しがちです。が、こうした判断や予断を一旦保留し、あらゆる現象や出来事を、あるがままに捉え直すことが大切なのです。するとあらゆる事物は決して自律独立的には存在してはいないことに気づきます。それどころか事物を構成している変数そのものが、他のあらゆる変数との不可分密接な関係をもちがら相互依存的関係や相入相即的関係をもっていることがわかります。すべてが重々無尽の複雑な網目状の関係をもちながらも一つの全体的システムとして振る舞っているのです。世界は、塵一つとて、他のすべてとの関係の中にあるといえるのです。こうした世界観は、ニュートン力学的な近代科学的パラダイムに慣れてしまっている人には捉え難いと思われます。しかしながら現代物理学者デヴィット・ボームが語るように、「存在の畳みこみ(インプリシット)的側面においては、すべてがすべてを含み、逆にすべてがすべてに含まれている」といえるのです。

塵のような極限のミクロの一瞬の振る舞いには、すべての他の作用が包摂されているのです。華厳哲学にいう、「一塵の中に全世界が宿り、 一瞬の中に永遠がある」と同じです。