客観性とは

ホロニカル心理学では、たとえば、物理、化学、生物、心理、社会、世界、宇宙といった区分は、実在する世界の中に含まれている区分ではなく、観察主体が観察対象に対して知らずのうちに範疇別境界を設定するためと考えています。本来、実在する世界には、区分などなく、無境界で一なる世界です。しかし特に学問の世界では、観察対象を限定することによって、観察対象ごとに統一された一定の法則を発見しようとします。しかも、物理、化学、生物、心理、社会、世界、宇宙という順序で語る時には、前者がより一般的普遍的法則であり、後者の複雑な現象も前者によって説明できるという仮説が暗黙のうちに含まれています。前者の観察対象ほど普遍的な一般法則が通用し、後者の観察対象ほど特殊で複雑な法則によるというわけです。特に近代自然科学のパラダイムでは、後者の特殊を前者の因果論的な一般法則によってすべて還元的に説明できると考えていました。

科学においては、発見された法則に客観性があるかどうかが問われます。それがないと科学とはいわれません。このとき客観性とは、一般的に主観から独立した客観性を意味します。しかしながら観察主体を抜きにして観察対象を世界の外から観察することはできません。したがって科学における客観性とは、実在する世界に客観的法則があるかを語っているというよりも、あくまで観察主体によって認識された法則に、どれだけ一般性や客観性があるかどうかを議論することになります。異なる人による観察や実験でも同じ結果が得られるかどうかの実証性が客観性につながっているのです。

しかしこの観点からすると、先の物理、化学、生物、心理、社会、世界、宇宙といった範疇別区分でいうときの「心理」の区分には疑問があります。まず、観察主体にとって観察対象である心理は、あまりに安定せず、他の観察対象のような観察対象にはなり得ません。また、物理、化学、生物、心理、社会、世界、宇宙という区分自体、観察主体の認識の枠組みによる区分という主観の影響、すなわち観察主体の心理をそのまま反映しているといえます。したがって、人が異なれば、また時代が異なれば、異なる範疇別の区分があるだけと考えられます。

ホロニカル心理学の立場では、観察主体は、観察対象として物理現象、化学現象、生物現象、社会現象、世界の現象、宇宙の現象など多層多次元な位相を限定的に識別しながら観察し、そこにある一定の法則を発見していると考えています。そして発見された法則性に主観性が関与することが避けられないだけに、発見された法則に客観性があるかどうかを検証することが大切になると考えられるのです。

観察主体は、実在する唯一の直接体験から多層多次元な現象世界を観察対象として識別し、かつ識別された対象に関する法則を知的な論理によって論じることしかできないと考えられるのです。もしも実在する世界そのものに触れようとするならば、むしろあらゆる観察主体による識別行為や語ることを一切止める必要があるのです。

ホロニカル心理学では、こうした観察主体と観察対象をめぐるパラドクスを重視し、この矛盾から新しい心理学を再構成しようとしています。