“こころ”の傷の扱い方

過去などありません。未来などありません。過去を含み未来が開かれてくる「今・この瞬間」があるだけです。過去→現在→未来といった直線的時間の流れは人間が知的に創り出したものと考えられます。

過去は取りかえしがつかないというのは、その通りです。しかしそもそも過去など、どこにもないのです。あるのは、「今・ここ」における過去の記憶です。過去の記憶と過去を混同し、過去があると錯覚してしまい、過去を取りかえしがつかないと嘆く人は、くれぐれも気をつけた方がいいといえます。今はもはや無き過去を追いかけて、取りかえしがつかないのは当たり前のことなのです。あるのは、過去の出来事をしっかり身体に刻み込んでいる「今・この瞬間」なのです。過去を含む「今・この瞬間」をいかに生きるかが、過去の記憶を塗りかえ、未来の生き方を刻々決めていくことができるのです。

支援者も過去を扱うときには、過去があるがごとき錯覚を被支援者に与える態度をとることには、くれぐれも注意を要します。支援者も、瞬間・瞬間、変化する創造不断の非連続的な「今・この瞬間」に焦点化することが大切になるのです。

瞬間・瞬間は、一度足りとも同じ出来事など起きることはなく、一瞬前を「今・ここ」に包摂しつつ、一瞬前を統合し、その統合した「今・この瞬間」が未来に向かって自発自展していくのです。「今・この瞬間」が、創造不断の出来事なのです。そうした創造不断に、人は命の働きを直観してきたといえるのです。

“こころ”の傷と呼ばれるものも同じです。「今・ここ」における身体の記憶としての過去の刻印を、いかに支援者が適切に扱うかが、被支援者の未来を切り開いていくのです。

支援者にとっては、「今・この場」において、“こころ”の傷を負っている被支援者と一致するように共に生き抜くことが、“こころ”の傷のケアとなるのです。

過去を扱うのではなく、徹底して、過去に傷を負った今・目の前の支援者と向き合うことが大切なのです。過去に傷ついて、今なお残っている「過去の記憶」を「今・ここ」という安全で安心できる場所で扱うことが大切といえるのです。

 

※井筒俊彦(1986).創造不断;東洋的時間意識の元型.In:「井筒俊彦全集第9巻,2015.慶應義塾大学,pp106-185.