※「IT(それ)」は、2024.11.20以降、「それ(sore)」に統合されています。以下のブログは、統合前のものです。
右の図の詳細は、自由無礙の俯瞰に向う観察主体(Ver2) 定森20230812)にあります。「自己意識の発達」と合わせて閲覧ください。
1「自由無礙の俯瞰」
①「俯瞰」
「俯瞰とは、観察主体と観察対象の関係自体を観察する行為」のことです。
②「自由無礙」
「自由無礙とは、何ものにも束縛されず融通無礙の境位」にあることです。何かを識別する基準(ホロニカル主体:理)によって、批判したり、評価したり、解釈することなく、「無批判・無評価・無解釈の立場」にあろうとすることです。しかし、ホロニカル主体(理)による判断をすべて停止したり・保留する作業は、人によっては、相応の修行や訓練が必要になります。
③「自由無礙の俯瞰」の深化
ホロニカル主体(理)の判断を停止したり、保留することが、より多くの観察主体と観察対象の組み合わせについて可能になればなるほど、「自由無礙の俯瞰」は自己意識の発達とともに深化していき、最終的には、自由無礙の俯瞰の絶対的主体である「IT(それ)」に統合されます。「IT(それ)」の段階にあっては、一切合切の部分と全体に関わる出来事が、部分が全体を包摂し、全体もまた部分を包摂するといったホロニカル関係(縁起的包摂関係)にあるということが、「IT(それ)=真の自己」によって実感・自覚されます。
2 「観察主体と観察対象」
①自己と世界の出あいを「直接体験」と概念化するとき、本来、純粋な直接体験そのものは、自己と世界の間に何ら境界なき主客合一の無境界の体験(ホロニカル体験)です。しかし、自己と世界の出あいに何らかのゆらぎが生じ、両者の関係が不一致となった瞬間に、直接体験は、直接体験を観察しようとするXという主体と、観察される観察対象Yに分断されてしまいます。
②観察主体となるXには、観察主体Xが内在化する出来事の識別基準であるホロニカル主体(理)による差異によってX1・X2・X3・X4・・・が考えられます。
③観察主体となるXの基本的態度には、自己意識の発達段階によって決まってる「苛烈な観察主体」→「支配的な観察主体」→「批判的観察主体」→「悲哀に満ちた観察主体」などの段階が考えられますが、最終段階の6段階では、絶対的主体である「IT(それ)」がすべてを包み込み総覧する態度に統合されます。
④観察主体Xには、個人の立場としての観察主体の意識レベル→家族の立場としての観察主体の意識レベル→ある所属団体の立場としての観察主体の意識レベル→・・・など、より包括的な立場に向かう意識レベルの段階があると考えられます。
⑤観察対象Yには、観察主体が内在化する識別基準(ホロニカル主体:理)によって識別された多層多次元にわたるY1・Y2・Y3・Y4・・・が考えられます。
⑥自己と世界の一致の瞬間の「ホロニカル体験」時には、観察主体と観察対象の区別がなくなります。そのためホロニカル体験は事後的にしか実感・自覚できません。しかしホロニカル体験の感覚は、身体的自己に実感として記憶されていくため、適切な自己意識の発達の土台となり、自己と世界の不一致・一致の繰り返しの人生の中で、不一致による苦悩を、より一致のホロニカル体験を目指して生きようとする基本的な適切な自己の自己組織化する意欲となります。ホロニカル体験があるからこそ、人生には、自己と世界が不一致を避けられないものの、一致することもあるということを実感・自覚することのできる観察主体を誰でも獲得できる可能性を持つことができます。
⑦「自由無礙の俯瞰」とは、俯瞰する対象となる「観察主体と観察対象の関係」のあらゆる組み合わせに対して、無批判・無評価・無解釈からの俯瞰が可能になっていることを意味します。また、自由無礙の俯瞰は深化していきます。より多くの観察主体と観察対象の組み合わせ差異を統合的に実感・自覚できるようになるにつれて、俯瞰の深度や頻度が深化していきます。
⑧最終段階は、観察主体と観察対象の区別がなくなり、「IT(それ)」になります。「IT(それ)」の段階は、華厳思想の事事無礙の段階に相当すると思われます。
3「適切な観察主体」と「不適切な観察主体」
A点とB点の行ったり・来たりを俯瞰できる観察主体C点のことを「適切な観察主体」、それに対して、観察主体と観察対象B点や、観察対象となるA点とB点の間の出来事を俯瞰できず観察主体がA点ばかりに執着している観察主体を「不適切な観察主体」と概念化しています。
4 共創的関係の構築
被支援者に生きづらさをもたらしている心的問題や心的症状を支援者が共有し、被支援者のより生きやすい人生の道を、被支援者と支援者が共同研究的な態度でもって協働する関係を構築することを、「共創的関係の構築」と呼びます。被支援者と支援者は、被支援者の観察主体と観察対象の関係の変容が、被支援者の自己と世界の出あいの不一致・一致にいかに影響しているかを、共創的関係の中で俯瞰していきます。
5 観察主体の発達
①「ほどよい環境」さえ持続的に保障されれば、観察主体は、「無」の段階から、すべてがホロニカル関係(縁起的包摂関係)にあることを実感・自覚することのできる、自由無礙の俯瞰を可能とした適切な観察主体に変容していきます。
②「ほどよい環境」の保障のためには、大きくわけて2つの条件が考えられます。
一つ目の条件は、観察主体の発達段階が、第1段階から第5段階にある期間は、被支援者を、「我がこと」のように共感的に俯瞰する適切な観察主体をもった他者の存在が必要になります。二目の条件は、自己と他者を包む生活環境が安全で安心でき、自己と世界はいつでも一致可能であるとの基本的信頼感が獲得できる環境であることが条件になります。
6 観察主体の発達段階(Ver2、定森,2023.8)
<第0段階の観察主体>
意識と存在のゼロポイントのこと。哲学用語で「絶対無」、仏教用語で「空」にあたります。
<第1段階の観察主体>
自己意識の発達が第1段階の自己にとっては、断片的な出来事だけの世界です。
観察主体が育っていない乳児期早期や、何らかの疾患や障害をもっているため自律的な統合力が脆弱な人にとっては、自己と世界の出あいは、ただ断片的な不一致・一致の出来事の繰り返しにしか過ぎません。
不一致・一致の直接体験を実感・自覚する観察主体がないということは、身体的自己にとっては、自己と世界の不一致に伴う地獄のような体感と、自己と世界の一致に伴う天国のような体感が非連続的に連続するだけと推定されます。
通常、第1段階にある自己に対しては、重要な保護的存在(実際の保護者や支援の中心となる人など)が、適切な観察主体の代替の役割を担い、時々刻々と地獄と天国の間を揺れる状態を、慈愛に溢れた態度で俯瞰し、包み込むようにして、すべての出来事が同一の身体的自己の上で起きている現象であり、かつすべての出来事は基本的には安全で安心できる世界の出来事であることを体得できるように働きかけていくことで、被支援者の適切な観察主体を育もうとします。
<第2段階の観察主体>
自己意識の発達が第2段階の自己内には、内外融合的主体が成立してきます。しかしながらが内外融合的主体は、直接体験を対象化する観察主体にまでは至っておらず、身体的自己は、自己と世界の不一致による自己違和的体験(A点)の地獄と、自己と世界のホロニカル体験(B点)の天国との間を行ったり・来たりするのみで、さらに地獄と天国が同一の身体的自己において起きている出来事として実感・自覚されていません。
第2段階に対して重要な保護的存在となる人は、第1段階に引き続き適切な観察主体の代替の役割を担い、時々刻々、地獄と天国の間に揺れる状態を、慈悲に溢れた態度で俯瞰し、包み込むようにして、すべての出来事が同一の身体的自己の上で起きている現象であることを体得できるように働きかけていくことで、適切な観察主体を育もうとします。
第2段階の時期の重要な保護的存在となる人の度重なる不在や、異なる保護的存在による一貫性の欠如は、被支援者の自己に対して、すべての出来事が同一の身体的自己において起きているという統合感の脆弱性や混乱をもたらす危険性があります。
<第3段階の観察主体>
自己意識の発達が第3段階の自己には、重要な保護的存在となる人の適切な観察主体の代替の役割を、自己内に映し、そして取り込む作業を通じて、内外融合的外的現実主体が観察主体となって結実してきます。
内外融合的外的現実主体は、A点とB点を実感・自覚しはじめますが、しかしながらA点とB点の間のつながりは自覚することがまだできません。その結果、A点とB点は、お互いに分裂・排除的な関係にあります。
第3段階の観察主体は、自己と非自己化された世界の境界が曖昧のため、内的世界と外的世界の境界自体も融合的な状態です。そのため被支援者がA点の時には、A点を引き起す要因は、すべて外界の観察対象からの迫害によると理解されます。逆に被支援者がB点の時は、すべてが自己内の要因によると理解されるため、自己は誇大的万能的な気分になります。
被支援者が、第3段階にある自己に対して、重要な保護的存在の立場となる人は、被支援者がB点の時には、あたかも迫害対象のように扱われ、誇大的万能的な自己を傷つけたという感覚による憤怒をぶつられるため、あたかも憤怒の排泄受容器となっての浄化機能のような役割を担わされることになります。こうした難しい状態に直面しても、重要な要保護者となる人が、誇大的万能的自己愛憤怒を、ほどよい態度で俯瞰し、包み込み、すべてが同一の身体的自己の上で起きている現象であり、すべての出来事は基本的に安全で安心できる世界の出来事であることを体得できるようにと働きかけていくことで、適切な観察主体を育もうとします。
この時期、重要な保護的存在の立場にある人の中には、B点に伴う被支援者の憤怒の適切な排出受容器になれず、思わず、やり返してしまう人がいます。しかし、そうしたことが続くと、被支援者の外的対象に対する迫害感を確信レベルにまで高めてしまう危険性があります。逆に、重要な保護的存在の立場にある人が、被支援者のA点をあまりに賞賛し支持すると、被支援者は常に他者に賞賛され支持されないと自信を持てなくなってしまいます。
心理相談(心理療法を含む)では、適切な観察主体を育むまでに根気と時間を必要とします。特にこれまでの心理療法は、第5段階での「臨床の智慧」や「実践の智慧」を元に第3段階に対応しようとして苦労してきた傾向がありますが、「適切な観察主体」を育むことに支援者の態度を積極的に変えていくことで、これまで以上に第3段階での適切な自己の自己組織化を促進することが可能になります。
<第4段階の観察主体>
自己意識の発達が第4段階の自己には、重要な保護的存在となる人の役割を被支援者の自己に映し、取り込むことによって結実してきた他律的外的現実主体が、A点とB点の行ったり・来たりを自ら実感・自覚するようになってきます。
他律的外的現実主体には、重要な保護的存在となる人の内在化していたホロニカル主体(理)の影響及び、それ以外に学習してきた規範、価値観、信念、常識の影響化によって取り込まれてきた被支援者独自のホロニカル主体(理)が内在化されています。その結果、重要な保護的存在となる人は、自ら既知のホロニカル主体(理)によって判断するようになってきた被支援者の成長を歓び支持しながらも、一方では、価値観の対立の違いからの反発を受けたり、被支援者と支援者が対立をしはじめたりします。こうした体験を通じて、重要な保護的存在となる人は、基本的な観察主体の代替の限界と役割の終焉を意識しはじめます。こうしたプロセスは、自ずと被支援者の支援者からの心理社会的自立を意味します。
心理相談では、この段階の被支援者に対しては、支持的対応やカウンセリング・マインド型の傾聴でもって被支援者(クライエント)は、適切な自己の自己組織化が可能になります。
<第5段階の観察主体>
自己意識の発達が第5段階の自己は、自律的外的現実主体が、俯瞰する適切な観察主体の役割を担うようになり、人生がA点とB点の行ったり・来たりを避けることができないことの実感・自覚を深めるようになります。
また観察主体は、基本的には既知のホロニカル主体(理)を内在化していた他律的外的現実主体から、自らが新しいホロニカル主体(理)を創発する自律的外的現実主体に変容していきます。
この時期、第4段階まで重要な保護的存在の役割を担っていた人は、第5段階では、被支援者自身による新しいホロニカル主体(理)の発見・創造の伴走型のサポート役に立場が変化してきます。
心理相談では、心理相談の色合いはなくなり、「真の自己」に向かっての自己の自己組織化の促進化のサポート役になります。
<第6段階の観察主体>
被支援者の観察主体が、すべてがホロニカル関係にあり、かつ本来、絶対無(空)からの創造された無自性の現象世界であることを実感・自覚するようになります。
この段階の観察主体は、自由無礙の俯瞰の絶対的主体である「IT(それ)」に統合された段階(真の自己の段階)にあります。