“こころ”とは(79):“こころ”を拠り所にして生きる

井筒俊彦(全一的「真如」の略図)

ホロニカル心理学では、般若心経の世界観のように、空(絶対無)を、“こころ”と捉えています。この場合の“こころ”とは、汎心論のような実体ではなく、人を含み万物を創造する働きのようなものではないかと考えています。

ホロニカル心理学のはじめの頃には、ホロニカル心理学の中心的な重要概念として、自己超越的な働きに対して、「IT」と名づけるという時期がありました。しかし、今思えば、当時の「IT」の概念の創発には、西洋的な天の神のイメージがありました。しかし、その後、「IT」の働きは、仏教徒が重視してきた「草木国土悉皆成仏」の世界観とも通じることも了解されるようになり、「IT」の働きは、外からすべてを包むばかりではなく、内からもすべてを包むようなものしても直覚可能なものとして考究されるようになりました。

現在のホロニカル心理学では、「仏」「神」とか呼ばれるものも、言詮不及の「IT」の働きに対して、歴史的文化的な言語の限定を受けて、様々な呼び名が与えられたのではないかと考えています。

西洋・東洋を問わず森羅万象は、絶対無としての“こころ”から生まれ、「IT」の働きによって、すべてが総覧され統一され、やがて、すべてzは絶対無としての“こころ”になると考えられるのです。

“こころ”は苦悩の源ですが、創造の源でもあるわけです。神仏を信じるかどうかを問わず、もし、自己を超えた“こころ”の働きを信じることができるならば、必ず死ぬ運命にある孤独な人生の意味も変化するのではないでしょうか。

“こころ”は、万物を生み出す窮極的なものでもあるという意味では、絶対的なる働きといえます。絶対的なる働きとは、それを超えた働きは何もないということです。絶対的なる働きのゆらぎが、すべての相対有や相対無からなる世界を自らの生み出しているわけです。

絶対的なる働きは、理性の働きだけではありません。理性とは、再現可能性、反証可能性的な一般化可能な普遍的原理を司ります。しかし、絶対的なる働きは、理性を含みつつも、新たな理を自ら創造するものであり、かつ既存の理を常に超えていくものと考えられます。 しかも“こころ”の働きは、自己と世界の出あい不一致・一致の苦楽を含む感性的なものを含むと考えられます。