
私たちが何かを考えたり感じたりするとき、その思考や直感には常に対象が存在します。
ホロニカル心理学の用語で言い換えると、次のようになります。
「我(現実主体)という意識のうち、外我(外的現実主体)が何かを思考するときや、内我(内的現実主体)が何らかを直覚するとき、場所的自己が場所を映した直接体験が対象となります。」
注:直接体験とは、自己と世界の出会いの不一致・一致を含むすべての出来事を意味します。
では、真に実在するものとは何でしょうか?哲学者デカルトがいう「我思う、ゆえに我あり」の「我」でしょうか。それとも観察対象となっている直接体験でしょうか。それとも別の何かでしょうか。
ホロニカル心理学では、次のように考えます。
デカルトのいう「我」とは、徹底的な懐疑の末に「疑っている間中存在している我は疑いようがない」という自己再帰によって見出された思惟の主体です。これはホロニカル心理学の「外我」に当たります。自己と世界の出あいが不一致となり、観察主体と観察対象に分かれたとき、直接体験を観察対象として思惟する観察主体に相当します。つまり、ホロニカル心理学から見ると、デカルトは外我を疑い得ない実在と主張していることになります。観察主体を主観とし、観察対象を客観とするとき、実在する世界は主観に所属し、観察対象の客観的世界は観察主体によって構成されたものとなります。
これとは逆の見方もあります。観察主体によって観察対象となる客観的世界側に実在する世界があるとする見方です。この場合、観察主体は観察対象となる客観的世界を超越した外側に存在します。
ホロニカル心理学の立場は、観察主体側でも観察対象側でもなく、直接体験そのものに真の実在があるとします。
観察主体と観察対象の関係は、自己が観察主体となり、自己及び世界との出あいの直接体験を観察対象にしているということです。このとき、直接体験には観察主体と観察対象が一致する瞬間が含まれます。一致とは、観察主体が無我となり、観察対象と無境界になり、自己と世界の区別がなくなる直接体験そのものになることです。観察主体と観察対象が分かれる前の直接体験です。ホロニカル心理学的には、場所的自己が直接体験そのものとなることです。
ホロニカル心理学の立場は、場所的自己が直接体験そのものを実感・自覚しているとき、自己にとっての実在世界と考えます。