「生きているということ」について

「生きる」ことの意味を見失ってしまったように感じることは、ないでしょうか?

「生き甲斐を持とう」とか「夢を持って生きよう!」とか、声高に言われると、かえって空しさを感じたりすることはないでしょうか?
大きな「生き甲斐」を持たない自分は、「生きる甲斐のない」人生を歩んでしまっているのではないか……
そんなことを感じたりすることはないでしょうか?

谷川俊太郎の詩で「生きる」という詩があります。
「うつむく青年」という詩集に収録されているものですが、震災後、報道されているのを何回か見ましたので、それでごらんになった方もいるかもしれません。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと                (後略……)

こんな感じで続く詩です。

「生きている」「いま、生きている」という かけがえのない実感は、意外と、こうした普段の なにげない生活の中の、ほんの一瞬の中にこそ、感じられるものなのではないかな……
そんなことを思います。
(前田由紀子)