苦悩は創造の契機(3):苦悩のもつ個別性と一般性

心理学の研究は進み心的防衛機制はある程度一般化できます。しかし防衛機制による具体的な心的反応は個別性が高く、その人固有の苦悩のイメージの理解に努めていかない限り琴線に触れた効果的な心理・社会的支援は成立しません。

例を示しましょう。ある15歳の少年Aがいます。Aは、校則の厳しい学校で学習上もついていけず、学校生活に息苦しさを感じているばかりか、両親の離婚問題の影を背負っています。しかしながらAは、自分の孤独感、絶望感や不安を否認しツッパリます。そして孤独感、絶望感、不安感など、あたかもどこにもないかのようにして無免許で仲間と共にバイクで命がけで街中を暴走しまくります。しかしながら同じような境遇にある少年Bは、暴走する意欲などなく、違法薬物に染まっていきます。またやはり同じような境遇に育った少年Cは、ヤクザの兄貴分と盃を交わします。少年たちの行為を、「心的外傷体験の否認に伴う反社会的行動への行動化」と一般化して説明できたとしても知的な理解にとどまり、こうした差異を理解するには不十分で、少年たちひとりひとりの人生の個別的物語の琴線まで触れた理解とは言えません。防衛反応は防衛機制の理論でもって一般化できましたが、行動化の差異をもたらす心理の個別的意味の差異については、少年ひとりひとりの心的理解を通してでなければ、せっかく一般化された心理機制のイメージすら意味を失ってしまうのです。

実は、様々な既存の心理・社会的支援の理論や技法は個別性と一般性の矛盾という限界を抱えています。認知・行動療法であろうと、来談者中心療法であろうと、精神分析であろうと、ユングリアン的心理分析であろうと、システム論的アプローチであろうと、ブリーフ・セラピーであろうと、被支援者が変容するときには、その人固有の変容があってはじめて可能といえます。その固有の変容の相同的類型化から一般化された理論や技法が編み出されてきました。

そこで大切になってくることは、既存の理論や技法は、多層多次元の“こころ”の顕れの中の一部の層、または一部の次元に焦点を合わせたものでしかないという限界を了解していくことにあるといえます。既存のいかなる理論や技法も、それだけですべての問題に対処できるほど一般化などされていないといえるのです。“こころ”の多層多次元性を了解しないまま自らの支援法が唯一であると思い込む時が最も危険といえます。

しかしながら、個別性の中に一般性が含まれ、一般性の中に個別性が含まれていると、ホロニカル心理学的に理解すれば、既存の様々な理論や技法を統合的に理解することが可能になります。