「気分」と「気持ち」

情動や感情など気分に関する言葉は、認知や思考とは異なる“こころ”の働きに対して使われます。認知や思考は意識的な心理作用ですが、情動や感情は無意識的な半ば自動的な“こころ”の働きといえます。

ところで、“こころ”が何かを感じている時、その何かを言葉にする直前の刹那を丁寧に掘り下げてみれば、それはもともと刻々変化する非言語的な身体感覚のようなものであり、俗にいう「気分のようなもの」であることに気づきます。

言葉とは、そうした「ある気分に」名を与える行為であり非言語的な身体感覚を感じた直後の事後的な判断であることに気づきます。しかし、自己と世界の出会いの瞬間は、言語化の及ばない漠然とした生々しい身体感覚だけなのです。ホロニカル心理学では、直接体験と呼んでいます。

「気分」と言われるような非言語的な身体感覚に事後的に名を与えると、不愉快、嬉しいなど情動や感情を示す言葉になるのです。そして、微妙に識別された情動や感情にある認知や考え方が結びつくと、「ある気持ち」を形成していくと考えられるのです。私たちは「気分」といった形で直接体験を実感し、そしてその「気分」を何らかの言葉の基準に従って識別することによって「ある気持ち」を抱いているのです。

ホロニカル心理学では、「気分」に注目し、「どんな気分がどのような考え方とどのように結びつき、どのような気持ちを作り出しているか」(自己照合システム)を明らかにしていきます。自己は自分自身の直接体験を自分のものとして実感・自覚していくことが適切な自己の自己組織化のために重要と考えるからです。直接体験こそが、あるがままの姿であり、そのあるがままを自分のものとしていくことが、より自己と世界の関係を一致に向けて自己を自己組織化していく契機となると考えるからです。