物を捨てられなかった Aさん

ひとり暮らしのAさん(30代)は、幼い時から手にいれてきた「物」をなかなか捨てることができません。Aさんにとって、「物」とは、人のために、そこにあるものと強く感じています。そのため捨てるとは、「あなた(物)は私にはもういらない」ということを直接意味してしまいます。それだけに、Aさんの“こころ”には、「可哀想」という思いが強く湧きあがってしまうのです。そんな考え方が決して合理的な判断ではないということは重々承知です。頭では捨ててもいいと思うのですが、それ以上に「可哀想」という気持ちに圧倒されてしまって捨てられなくなってしまうのです。

Aさんは、家族の愛を知らずに育ちました。また世間は、いつも自分を邪魔者扱いか、やっかいもの扱いをするという体験や記憶しかありません。そんなAさんにとって、「物」とはAさんの宝物であり、自分を支え自分を裏切らない唯一のものだったのです。

孤独で寂しがり屋のAさんの人生を支えてきたのは、オモチャ、人形、食器、布団・枕、旅の思い出のお土産なのです。

物が家族の代わりだったのです。

しかし、そんなAさんにも、ついに物を片付けることができる時がやってきました。まだとっておきたい物、もういらなくなった物を区別し、物を捨て、片付けたりすることができるようになってきたのです。Aさんが愛する人、Aさんを愛してくれる人ができた頃のことです。物を片付けることができるようになりだしたAさんは、自己否定的な自己像をもっていましたが、少しずつ適切な自己像やほどよい自己愛を抱くことができるようにもなってきました。

実はAさんは、生まれて間もない頃、養護施設の門前に産着に包まれてまま遺棄(いき)されていました。なんの手がかりもなかったAさんは、児童相談所を通じて乳児院に入り、その後、養護施設で育っていたのです。

Aさんには「物」をめぐるすさまじい出来事があります。Aさんが小学校3年生の時の出来事です。Aさんが生活していた養護施設が火事になってしまったのです。その時です。Aさんは、半狂乱になって燃えさかる居室に飛び込もうとしたのです。驚いた職員が身体をはって必死に止めたことによってAさんは怪我ひとつなくすみました。実はこの時、Aさんは、乳児院からずっと引き継がれてきた「産着の切れはし(養護施設の門前に捨てられていた時のAさんを包んでいた産着のボロボロの切れはし)」を居室に必死に取りに行こうとしたのです。無情にも産着は灰に帰しました。その後のAさんの「物」への執着がとても強くなっていったのです。そんなAさんが、「物」を片付けることが、ついに出来る人生の節目がやってきたのでした。

 

※カテゴリー「事例的物語」は、ホロニカル・アプローチによる実際の事例をいくつか組み合わせ、個人が特定できないような物語として構成されています。