存在と無

「生」が、「死」があってはじめてが意味をもつように、「存在」は、「無」があってはじめて意味をもつといえます。「無」がないといところでは「存在」する意味もないといえます。

西田哲学でも、「実在するもの」とは、「無」を絶対矛盾的に含むものと考えます。「無」と「存在」、が「矛盾的自己同一」にあると考えるわけです。

ホロニカル心理学も同じように考えます。すべてが相矛盾するところに“こころ”があり、命があり、存在があると考えます。永遠なるもの、無常なるものが、“こころ”といえるのです。